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| 朝霞研究所創設と同時に開発畑に飛び込んだ山中勲。そのルーツは静岡県浜松市にあった。 バイクの街・浜松で生まれ育ち、「バイクの開発をしたい」という一念でホンダに入社した山中少年が、鈴鹿製作所→朝霞研究所を経てようやく浜松に戻ってきた。開発の最前線を離れることにはなったが、今度の現場は生産の最前線。市販車を生みだす工場でユーザーの近くに来たともいえよう。そしてそのことがこの『熱き心で夢を創らん』という連載ページの実現にもつながっている。 |
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| 1998年7月、本田技術研究所朝霞研究所でのバイク開発生活にピリオドを打ち、これからは本田技研工業浜松製作所に勤務することになった。浜松は私にとっては生まれ故郷であり、高校生の頃から浜松製作所の建物を見ては「いつかホンダに入りたい。バイクの開発をしてみたい」と夢を膨らませたものだった。 そしてその念願がかなってホンダに入社し、夢だったバイクの開発を25年にわたって行ってきた。浜松に戻ったのは実に35年ぶりだったが、あこがれていたカマボコ型の屋根や入社時に設計室があった事務所はそのままの姿で私を迎えてくれた。 この浜松製作所は私が開発を担当した大型スポーツバイクの量産工場であり、研究所時代には何度も出張で訪れて浜松の人たちと手を組んで量産化の準備をしたものである。もともとバイク開発のために入りたかった浜松製作所ではあったが、今度は開発を終えた新機種をスムーズに量産化につなげるための役割としての浜松製作所勤務である。 私は本田技研に入社してからずっと浜松を離れていたが、そろそろ高齢となった両親といっしょに生活することを考えていた。バイクの開発は大好きだったし、定年まで6年を残しての転勤に「6年あれば大きなモデルが2機種くらい開発できるなあ」とも思ったが、「自分ひとりで大きくなったのではない。両親あっての私である」と考え、ついにこの日が来たというわけだ。 朝霞研究所開設と同時に始まった私の開発人生では、自分の希望したスポーツバイクを担当。常にホンダを代表するようなエポックメイキングなバイクの開発に携わる毎日は、実に充実した日々だった。 転勤から1年半後にはホンダとして10年の沈黙を破る耐久レーサー・RCB1000の開発に車体設計PLとして参加。レース界での10年間の空白はあまりにも大きく手探り状態での開発であったが、6か月後に出場した最初のレースでいきなり優勝。この経験で設計する時の1本の線を大事にすることを学んだし、アイデアを次々と試すことの楽しさを覚えた(第2話)。 その次のCB900F/750Fの頃もまだ経験は浅かったが、自分が注ぎ込んだパワーが爆発的なヒットにつながると、だんだん設計がおもしろくなってきた(第3話)。 プロダクションレースのための限定モデル・CB1100Rは、6か月という短期間での開発にもかかわらず市場を熱狂させた。この時はレースで勝つために生産性を阻害するような開発もしたが、純粋に目的に突き進むことが許されたときには大きな成果を得ることを知った。現在もCB1100Rオーナーズクラブなどの活動は盛んで、バイクを通じて人の輪が広がるという魅力も感じさせてくれた(第4話)。 世界初のV4エンジンを搭載したVFシリーズの開発はGOGO作戦と名づけられた大量開発の時期であり、私がLPLとして関わっただけでも3年間で12モデルの新機種を生み出した。この時は自分のアイデアがどんどん採用される快感を体験した(第5話、第6話)。 その中でもVFR750Fはソフィスティケイテッドスポーツという新しいカテゴリーを作るまでに成長。この開発を通じてバイクは生活に潤いと変化を与えるパートナーだということに気づかされた(第7話)。 ゴールドウイングの名前でアメリカにおけるツーリングバイクの代名詞となっているGL1500の水平対向6気筒は、元来スポーツエンジンであるためにツーリングにふさわしい低回転高トルク型のキャラクターにアレンジするのには苦労したが、おかげでさまざまな技術的ノウハウを手に入れることができた(第8話)。 “世界最快適ハイスピードツアラー”のコンセプトで縦型V4エンジンを使用したST1100では、高速安定性を確保しながらライダーの居住性を配慮してヨーロッパの人々の心を捉えたものだった(第9話)。 楕円ピストンのNRは、新技術と新仕様をふんだんに織り込んだ開発で520万円という高価なものになってしまった。ここでは価格設定の重要さを知るとともに、ホンダの“夢を力として突き進む強さ”を改めて社会に示す結果となった(第10話)。 最後の開発モデルとなったCBR1100XXは、私の研究所での経験のすべてを注ぎ込んで、最も楽しいバイクを目指して開発した。このXXは大変に高い反響を受けたし自分の集大成とも思えたので、開発の現場を離れて浜松に異動するのにはちょうどいい区切りとなった(第11話)。 研究所での25年間はホンダが大きく飛躍する時と重なり、会社は新しいことに次々とチャレンジ、経験の浅い我々にも多くのチャンスを与えてくれた。それは猛烈に忙しい日々だったが、毎日が新しい経験の連続でおもしろくてしょうがなかった。そしてこれからはまったく新しい日々を過ごすことになる。 |
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