四輪事業の歩み

低公害CVCCエンジンを搭載し、1973年に登場したシビック。レースシーンだけでなく、Hondaの技術水準の高さを世界中に知らしめました。 T360(1963) N360(1967) 初代オデッセイ(1994)

四輪事業の歩み(1) 今に続く独創のMM思想。 そして、世界を驚かせたマスキー法の達成

1963年、Hondaは軽トラック「T360」、スポーツカー「S500」を相次いで発売し、国内の後発四輪メーカーとして四輪業界へ参入。2台はいずれも日本初となるDOHCエンジンを載せ、S500では「時計のように精密なエンジン」と評されるほど斬新さと高い技術に満ちたものでした。次の年から「技術は頂点で磨け」と果敢にF1に参戦し、翌1965年に初優勝。以後、F1で培われた技術は量産車へも活かされていきます。1967年、軽自動車「N360」発売。その後も続いた「Nシリーズ」は「人のための空間は最大に。メカは最小に」という、今のHondaのクルマづくりにも息づく独自の「MM(マンマキシマム・メカミニマム)思想」による快適空間が人気を集め、国内販売を強力に牽引しました。そして1972年、当時世界で最も厳しいとされた米国の排ガス基準「マスキー法」をCVCCエンジンで世界で初めてクリア。これを搭載した「シビック」は一躍「世界のシビック」となりました。環境性能とパワーの両立をめざす高い志と技術は、今日のHonda車に多く使われるi-VTECエンジンなどに受け継がれています。また新価値の創造も身上とし、ミニバン市場を拡大した「オデッセイ」など、先進の個性を備えた商品を次々と送り出しています。

四輪事業の歩み(2) グローバル化への挑戦。日本メーカーとして先駆けたのもHonda

需要のあるところで生産することで、その地域の雇用を拡大し、社会・経済活動にも貢献できる。その考えのもと、Hondaは1982年、国内四輪メーカーとして初めて米国での四輪車生産を開始。工場の建設には現地の生産設備を積極的に導入し、車両製造には米国の原材料を使うなど「現地化」を徹底。国内製造業のグローバル化の指針となりました。1997年には米国で開発・生産された名実ともに米国製の北米専用アコードを生み、2009年には北米での四輪車生産累計2,000万台を達成。2011年4月現在、生産の拠点は17の国と地域、計27拠点に広がっています。

米国オハイオ工場(1982)

初代北米専用アコード(1997)