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ゴルフの雑学・マメ知識日本とハワイを結ぶ偉大なローカルトーナメントハワイパールオープン物語

2010.03.31

※このコンテンツは、2010年3月時点の情報をもとに作成しております。
※ハワイパールオープンは、2013年の第35回大会で終了しました。

大勢のゴルファーを魅了したゴルフトーナメント、ハワイパールオープン。
本田宗一郎の思想を元に始まったその歴史を辿りながら、
Hondaとゴルフの意外なつながりを繙きます。

Hondaとゴルフの意外なつながりを繙く

2010年2月9日。ハワイのパールカントリークラブは早朝から静かな熱気に包まれていた。まだ明け切らない空の下、ドライビングレンジで黙々と球を打つ選手たち。
パッティンググリーンの向こうに見えるスタートホールのティーグラウンドでは、競技委員がルールの説明をしている。ひとしきり説明が済むと、緊張で顔を強張らせた選手が一人ずつティーオフしていく。みな無言で、ハワイならではのフレンドリーな雰囲気はそこにはない。

この日行われていたのは、3日後に行われるパールオープンの予選会。プロアマ合わせて約100人のゴルファーが、本戦の出場権をかけて戦っていた。パールオープンといえば地元のゴルファーにとってマスターズ以上の意味を持つといっても過言ではないゴルフトーナメント。その舞台に立てるか立てないかの瀬戸際となれば自然に目の色も変わる。だから選手たちは真剣なのだ。またハワイのゴルファーに加え、パールオープンに魅せられた日本人ゴルファーも大勢参加していた。アマチュアの出場資格はハンデキャップ4以内。日本で腕を磨いてハンデを下げ、年に一度の夢の舞台に挑戦し続けている日本人は少なくない。

すでに名を挙げたプロにとってもパールオープンは特別な試合だ。本戦ともなれば、アメリカ、カナダ、オーストラリア、韓国といった国々から集まった選手たちが熱戦を繰り広げる。

賞金総額8万ドル、優勝賞金1万2千ドル。ハワイのローカルトーナメントに過ぎないパールオープンがなぜこのように大勢のゴルファーたちを魅了するのか。体験したことがなければきっと不思議に思うことだろう。もちろんハワイの開放的な雰囲気が試合の魅力を生んでいるのは事実だが、それだけではパールオープンを語ることはできない。本田技研工業の創業者であり、パールCCを保有する本田開発興業のオーナーでもあった故・本田宗一郎の思想がバックグラウンドにあるからこそ、人々を引き付けるのだ。コースのあちこちにディスプレイされたHondaのニューモデルが象徴するように、パールオープンは「ホンダイズム」を体現したトーナメントなのである。

しかしそもそもなぜ本田宗一郎はハワイにゴルフ場を所有し、ローカルトーナメントを開催し始めることになったのか。その疑問に答えを出すべく、今年で32回目の開催となるパールオープンが誕生する前まで時計を戻し、そこに込められた本田宗一郎の想い、そしてHondaとゴルフの意外なつながりを紐解いていくことにしよう。

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