宮里 藍プロ特集

Honda GOLF限定のインタビューや動画宮里 藍プロ スペシャルインタビュー 2012

SPECIAL INTERVIEW 2012 SPECIAL INTERVIEW 2012

アメリカツアー 7 年目、ツアー連戦中の宮里 藍プロを自宅のあるロサンゼルスに訪ね、Honda GOLF 単独のロングインタビューを行いました。
ゴルフのことはもちろん、アメリカでの生活や愛車 CR-V のこと、そして将来のことなど、包み隠さずに話してくれた宮里プロ。きっとみなさんの知らない「宮里 藍」がここにあります。 ※このインタビューは2012年7月に実施したものです。

2012.10.30

こっちに来たら「まず話す」ということがとても重要ですよね。

アメリカ生活で発見したこと。

アメリカに来て驚いたことはありますか?
アメリカの文化は面白いなって思うことはよくあるんです。まず、凄く社交的ですよね。日本人も社交的なんですけど、ちょっと違って、アメリカ人はとてもカジュアルで、人と話すことがとても好きなんです。ですからこっちに来たら「まず話す」ということがとても重要ですよね。日本人は初対面の人と深く話さないじゃないですか。でもこっちの人はジャグジーとか入ってると、1時間~2時間平気で喋っている人たちがいて、二人はベストフレンドなんだろうな~とか思っていると帰り際に「ナイストゥミーチュー」とか言ってるんですよ。「えっ初対面なの!?」みたいなことが多々ありますね。要は話すことに重きを置いていて、ちゃんと相手の目を見て1対1で話すということをしないと難しいのかなって思いますね。ホームパーティもよくするし、日本と比べて、パーティの数がすごく多いんです。
じゃあアメリカ生活はパーティ三昧?
いえ、私はあまり行きませんし、自分の家でホームパーティをすることもないですね。私は日本人だし、最初から深い話っていうのはやっぱりできないんです。それに自宅でパーティっていうのは手料理を振舞うってことですが、そういうところまで料理のレベルがいってないんです。基本的に大勢でわいわいするよりも少人数でまったりしているほうが好きです。
アメリカってどんな国ですか?
いろんな人種がいて、その個性が生かされる場ですね。とにかく不思議な国だと思うんですよ。よくこんなにいろんな人種がいて、国が成り立っているなって。当然いろんな意見があって当たり前ですけど、意見が違うことを誰も気にしないし、それが好き嫌いの基準にならないんですね。ツアーでもたとえば、「私はここから池に入ったと思う」「いや、私はここからだと思う」というようなことがあった場合、どちらも譲らず延々と話が平行線になるんです。その場は険悪なムードになりますけど、一週間たったら仲良くなっている、みたいな感じで、わだかまりとかいうのはありません。とにかく言わないと損だなというのはあって、そういうときに語学力がないと思っていることが100%は伝わらないし、いまでもそういうジレンマみたいなのはあります。まあ7割伝わればいいやって思ってはいるんですけどね。
英語はどうやって覚えましたか?
こっちへ来たときは1年でペラペラになるって言ってましたね。「絶対に無理だ」って言われて、実際1か月ぐらいで挫折しました。あ、これ無理だなって(笑)。ただ、言葉ってあってないようなものだと私は思っているんです。怒ったときは日本語のほうが伝わるっていうじゃないですか。それにわかんないと言えばわかるように言ってくれますから。もちろん面倒臭がってそれ以上話しそうとしない人もいますけど、生活していれば自然に覚えますよ。こっちでできた友達から若者の使う言葉を教えてもらったりしていますけど、英語の面で一番影響が大きいのはキャディだと思います。
昨年キャディオブザイヤーに輝いたミック・シーボン氏ですね。英国人が先生っていうことは宮里さんはイギリス英語?
いやいや、イギリス英語はカッコいいし、私もそうなりたかたんですけど、なれませんでした。いまでもブリティッシュアクセントは品良く聞こえるので羨ましいですね。
食事はどうしているんですか?
ツアーに出ると外食ばかりなので、自宅にいるときは自炊です。和食中心で、魚を焼いたり煮物も多いかな。洋食だとスープとか、簡単に作れるものですね。
自宅にいる時間は本当に普通の一人暮らしなんですね。日本だと街を歩いていても大騒ぎになってしまうと思うんですが、アメリカではどうですか?
全然です。こっちだと「どこの中学生だ」とか思われていますから(笑)。ゴルフ場だとわかる人にはわかりますけど、街では全然ないですね。LPGAを追いかけているゴルフファンの方から「あ~宮里だよね」というのがたま~にありますけど、あったら逆に凄いなという感じです。私を知っているなんてかなりマニアックですから。
暮らしやすさはそのへんにもありそうですね。
日本はスポーツ選手が有名人のジャンルに入る感じですよね。こっちは「アスリート」という別のとらえ方をされるんだと思います。日本ではテレビ出演すると有名人として注目されることがあるのですが、アメリカではそういうのがないですね。「あ、ツアー出てたよね、頑張ってね」みたいな反応です。それに比べて日本だと「うわぁ~宮里だ!」みたいな。それにうまく対応できないときがありましたね。
宮里プロにもそんな時期があったんですか。
20歳ぐらいのときに、自分の中で「宮里藍」というものをどういうふうにしていいのか、というのが一時期ありました。けっこうあからさまに嫌な顔したりとか…。そのときはうちの父にめっちゃ怒られましたね。おまえはとにかく勘違いしている。そんなんだったらゴルフやめちまえ!って。当時は素直に聞けなくて反抗してましたね。この状況はなってみないとわからないって。「そういうけど、じゃあ同じ生活してみてよ!」ってそんな風に思っていました。
有名であるがゆえの悩みですね。
そのときは父には一生理解してもらえないと思っていましたね。今考えると、そういうふうにしか自分を守る術がなかったんだと思います。18歳ぐらいでプロになって、いろんな大人が急に周りに来て、あれ~、みたいな。とにかく世界が急に変わったんですよ。私は変わっていないんですけど、周りが変わった、みたいな印象がありましたね。
環境の変化に順応できなかった?
難しく考える必要はないんですけど…若かったんでしょうね。なにしろ制服着てテレビ出てましたから(笑)。最初の頃は「自分」でいることに抵抗はなかったんですけど、そのうちに求められているものにならなきゃ、っていうようなのが出てきて、それがしんどかったんでしょうね。「自分らしくいられない」っていうのが嫌だったんだと思います。いまはそういうのは全然なくて、ゴルフしてても、オフの時間であっても、お仕事しているときでも自分は自分です。声をかけられたら凄くうれしいし、やっぱり、応援してくれる方というのはすごく大事ですね。
話を聞いていると、お父さんの存在は大きいですね。
父は一歩引いて見ることができる人だし、すぐズバッと言ってくれるのでありがたいですね。「何を~!」と思うときもあるんですけど、素直に褒めてくれるときもあって、いずれにせよ、身内がいってくれると良くても悪くても一番響きます。もうけっこう先輩のほうだし、上に行けば行くほど、言ってくれる人がいなくなるじゃないですか。それは自分としても避けたい状況なので、いまでも周りの人には「もし変なことをやったら言ってくださいね」ってお願いしてるんです。特にいま女子ゴルフ界は若い子が多くて、一緒に回っていても私が年上っていうのが普通ですから。そうなると余計に言ってくれる人は貴重です。

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