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アユの毛バリ釣りのもうひとつの愉しみ

今も受け継がれる伝統工芸の世界を知る

江戸時代に盛んになったといわれるアユ毛バリ釣り。その釣りを支える、毛バリ作りの伝統は、今も兵庫県の播州バリ、高知県の土佐毛バリ、そして北陸の加賀毛バリや越中毛バリとして引き継がれている。それぞれの工房には、地元の釣り人だけでなく、今や全国から熱心なアユの毛バリ釣りファンが訪れる。
加賀毛バリの祖として知られる「目細バリ」は、今も金沢市内の目細通りに店を構える
現在は20代目当主夫人が巻き師を受け継いでいる
江戸時代初期の書物には、当時の京都で〝蠅頭(はえがしら)〟などと呼ばれた川魚用の小さな疑似バリが作られていたことが記されている。これらの疑似バリは、行商人の手によって生活用品や薬などの物資と一緒に全国津々浦々に運ばれ、アユがたくさん獲れた地方ではさらに改良や工夫が重ねられた。
毛バリを巻く道具には産地独特のスタイルがある
アユ用の毛バリの発祥には諸説があるが、江戸時代の加賀藩(現在の石川県と富山県を含む)において、現代に伝わるきらびやかなアユ用毛バリが完成したことは間違いない。外様大名の中でも特に大藩だった加賀藩では、家臣が大っぴらに武芸を磨くと、徳川幕府から謀反の嫌疑をかけられるため、苦肉の策として足腰の鍛練を理由にアユの毛バリ釣りが奨励された。同時に、藩は友禅や蒔絵など優美な工芸品、茶の湯、能楽にも力を入れたため、アユの毛バリ作りにおいても、色とりどりの鳥の羽根や動物の獣毛が使われるようになり、漆や金箔による細工や装飾も発展していった。
アユの毛バリ釣りには、こうした工芸品と呼ぶにふさわしい毛バリを、1つ1つの名前とともに覚えていくインドアフィッシングの楽しみもある。まさに文化と呼ぶにふさわしい釣りなのだ。
兵庫県の西脇市を中心にした播州毛バリ。親子そろって毛バリを巻き続けるのは「勝岡バリ」こと勝岡毛針製作所
ミノ毛を含む本体が巻き上がった状態
最後は最上部に小さな漆玉を作って金箔を貼り付け、〝金玉〟を整えればアユ毛バリの完成となる
※このコンテンツは、2017年6月の情報をもとに作成しております。最新の情報とは異なる場合がございますのでご了承ください。