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丸沼で文豪や貴族に想いを馳せる

丸沼で文豪や貴族に想いを馳せる

開高健が愛したマス釣りの原点

クルマはやがて戦場ヶ原を越えて湯川、湯の湖、そして丸沼へ……。湖畔にある環湖荘はかつて丸沼温泉ホテルと呼ばれ、開高さんも愛した宿。ここで一泊して明日の釣りに備える。ちょっと贅沢な感じもするが、文豪と同じ空気を吸って、豊かな釣り時間を実感しようという目論見らしい。

丸沼は標高1430mという高地にあって、周囲のほとんどが私有地のため、豊かな自然が残されてきた。他の主な湖と比べても、芦ノ湖が標高723m、河口湖が833m、中禅寺湖でさえ1269mだから、丸沼の高さが理解できるだろう。つまり芦ノ湖の約2倍の高地にあるわけだ。
環湖荘
丸沼のほとりにたたずむ環湖荘。かつて丸沼温泉ホテルと呼ばれ、東京倶楽部の紳士たちから開高健さんまで、錚々たる人々の釣り姿を見守ってきた。三浦さんと落合さんはちょうど1年ぶりの再訪だ
【取材協力】環湖荘
〒378-0414 群馬県利根郡片品村東小川4658-7
TEL:0278-58-2002
http://www.marunuma.com/
取締役の井上勝さんは、ホテルマンとして開高さんのお世話をした最後のスタッフ。言わば、丸沼の生き字引だ。
「よくお見えになっていましたよ。なんだかのんびり過ごしていらっしゃって。でも、しばらくは、あの開高さんだということを知らなかったんです。普通のお客さんと変わらなかったですからね。別にむずかしい注文をするわけでもなく、昼は部屋におられることも多かったです。気が向くとロッドを持って出かけるんですよ。釣りはとてもお好きでした」
開高さんは文芸春秋誌上で、丸沼についてこう語っている。
「……始まりは丸沼ですがね。丸沼のホテルに籠っていたんだが、原稿は一枚も書けない。それで湖へ出た。ところが釣れることは釣れるんだけど、小物ばっかりでね。あそこは毎年ニジマスを放流していて、越年した居残りマスが多いはずなんですよ。ワカサギもいるから大きくなっているはずで、私も以前、六十五センチのを釣ったことがある(以下略)」

「これも見てみな」 三浦さんが出してきたのは、昭和初期のイギリスの政治家、エドワード・グレイの著書「フライフィッシング」だ。
「訳者が西園寺公一さん。つり人社からも"釣魚迷"を出版してるから君たちにも縁がある方だよ。開高さんをして"日本最後の貴族"と言わしめた人で、オックスフォードに留学してたフライフィッシングの名手。丸沼での釣りも楽しんだみたいだね」

その本の後書きで西園寺さんは、「じつは私の場合も、釣りは鱒釣りから始まった。小学校初年級の頃の夏休みに、両親に連れられて、奥日光の丸沼に行き、鱒釣りの洗礼を受けたのだ。丸沼には日本最初の鱒釣りクラブがあった(後略)」と触れている。彼の父は、西園寺八郎。まさに丸沼鱒釣会の創立メンバーだ。

「明治時代、上流階級の社交の場として東京倶楽部っていう組織があったんだよね。イギリスの社交クラブを見本にして、女人禁制、会では日本語禁止なんてスノッブな雰囲気だったらしいけど。その中の鍋島桂次郎と法学者の土方寧が、トーマス・グラバーたちが湯川で釣りを楽しんでいるという話を聞いて湯川を訪ねたらしいんだ。でも、釣れなかったので丸沼に転進して、すごくいい思いをした。それがきっかけになって、東京倶楽部の釣り好きメンバーが丸沼鱒釣会を結成したんだよ」と三浦さん。
当時は、東京から専属料理人を引き連れて釣りを楽しんだこともあったとか。また、ここでの釣りの利便をあげるために会員が金を出し合って道路まで整備したという話も伝わっているから、やはり遊びのスケールが違うのである。
執筆のために滞在していた開高さんと接した井上勝さん。現在は、環湖荘の責任者として陣頭指揮を取る。この素晴らしい環境が残されてきたのは奇跡の積み重ねと語るが、スタッフの努力の賜物であることは言うまでもない
執筆のために滞在していた開高さんと接した井上勝さん。現在は、環湖荘の責任者として陣頭指揮を取る。この素晴らしい環境が残されてきたのは奇跡の積み重ねと語るが、スタッフの努力の賜物であることは言うまでもない
部屋からは丸沼の緑が一望できた。手が届きそうな星空と庭先に顔を出す鹿の姿。明け方には網戸にミヤマクワガタが挨拶にきて、みんな大喜びだ。周囲に何もないという
部屋からは丸沼の緑が一望できた。手が届きそうな星空と庭先に顔を出す鹿の姿。明け方には網戸にミヤマクワガタが挨拶にきて、みんな大喜びだ。周囲に何もないという
環湖荘の玄関脇に見事なニジマスの剥製が飾ってあった。それを見た落合さん、「このサイズでいいなら、ちょろいもんですよ…」と言ったとか言わないとか。多摩川で87cmのコイを釣ってから、言うことも大きくなってきた
環湖荘の玄関脇に見事なニジマスの剥製が飾ってあった。それを見た落合さん、「このサイズでいいなら、ちょろいもんですよ…」と言ったとか言わないとか。多摩川で87cmのコイを釣ってから、言うことも大きくなってきた
環湖荘名物「ニジマス風呂」。浴槽を見おろすように巨大なニジマスが遊泳する。「どんな気持ちで俺たちを見てるのかな」と落合さんが呟いた。ニジマスの気持ちなんて気にしてないで、とにかく明日釣ってくださいよ!
環湖荘名物「ニジマス風呂」。浴槽を見おろすように巨大なニジマスが遊泳する。「どんな気持ちで俺たちを見てるのかな」と落合さんが呟いた。ニジマスの気持ちなんて気にしてないで、とにかく明日釣ってくださいよ!
夕食はイワナの塩焼きや赤城牛の冷シャブ、あん肝豆腐や、マスの刺身、天然アユのフライなど手の込んだ品が並んだ。豊かな夕食は会話を弾ませる。早飯が身上の編集部員たちも、この日ばかりはゆっくりと夕食を楽しんだ
夕食はイワナの塩焼きや赤城牛の冷シャブ、あん肝豆腐や、マスの刺身、天然アユのフライなど手の込んだ品が並んだ。豊かな夕食は会話を弾ませる。早飯が身上の編集部員たちも、この日ばかりはゆっくりと夕食を楽しんだ

ヴィンテージな道具でマスと遊ぶ

環湖荘の玄関脇には巨大なニジマスの剥製が飾られていた。落合さんが駆け寄って、いきなり三浦さんを挑発する。
「このシリーズでは魚を呼ぶ男と言われてますからね。今回もこれくらいのをパパッと釣って見せますよ」
釣りは人を丸裸にするというが、この男、調子に乗り過ぎである。

丸沼では、盛夏であっても表層水温が20℃を少し超すくらい。だから、冷水魚であるニジマスやイワナが、深場に落ちなくても生活ができて、釣り人の手が届く層にいる。これが芦ノ湖だったら、ディープのレイクトローリングでなければ魚と会えないかもしれないのだ。丸沼はまさにマスの天国、聖地だ。
やがて三浦さんがクルマから取り出したのは、見たこともないロッドの束。彼の私物らしい。
「別にコレクターじゃないけどさ、中学生の頃に使ってた道具。まさに開高さんの時代だよ。フィリプソンだろ、ブローニングだろ、フェンウィックだろ…まぁ、丸沼鱒釣倶楽部の貴族たちはイギリスのハーディー好きも多かったらしいから、俺はそれでやるかな…」
リールはABUのカーディナル3とか33、44あたりが出てきた。ルアーはアムコのアルミボックスに入っている。プラグやスピナーなどいろいろ入っていて、先ほどのハーディーのグラスロッドをはじめ、若いふたりには見たこともない物ばかりだ。

さらに、1970年代に発行された文芸春秋デラックスという別冊が登場。作家の開高健さんが「釣れるものは全部釣りあげたい」という記事に登場している。
「ほら、ここを見てみろよ」と三浦さん。

「これで魚が釣れるのかいな、と思うようなのがいくらでもありますね。たとえばU字スプーン。別名スーパー・デューパーとも言いますが、ブリキの板をU字型に曲げて、三本鉤をつけただけなんだ(以下略)」と開高さんの談話が載っている。40年近く前の名作ルアーの話らしい。
「……でね、これがその実物」
三浦さんの手には、未使用のスーパー・デューパー5本セット、ケース入り。えっ? 1970年代半ばのデッドストック? この人っていったい……。
「開高さんに敬意を表して、明日俺はこれでやってみるよ」と涼しい顔だ。網戸に目をやれば夏の名残りのようにミヤマクワガタが……。開高さんもこんな空間で執筆したり魚に想いを馳せたりしたのだろうか。
三浦さんが持参したタックルボックス。当時輸入されていた人気ルアーのほかに、普及し始めたばかりの国産ルアーの数々も見える。当時はまさに試行錯誤の時代。釣り人もメーカーも、この国のルアーフィッシングを模索していた
三浦さんが持参したタックルボックス。当時輸入されていた人気ルアーのほかに、普及し始めたばかりの国産ルアーの数々も見える。当時はまさに試行錯誤の時代。釣り人もメーカーも、この国のルアーフィッシングを模索していた
文豪の談話にも登場するスーパー・デューパー。なんとも不思議なデザインだが、湖沼のマス釣りでは威力を発揮したという。これは5本セット。バラ売りもされていて、小さなサイズは管理釣り場でも人気だった
文豪の談話にも登場するスーパー・デューパー。なんとも不思議なデザインだが、湖沼のマス釣りでは威力を発揮したという。これは5本セット。バラ売りもされていて、小さなサイズは管理釣り場でも人気だった
今回のミッションに合わせて用意されたロッドたち。左の2本はブローニング。右端はハーディー。ブラックバスがルアーフィッシングの人気魚種になるのはもう少し後で、当時はニジマスやイワナ、ヤマメなどサケ・マス類が中心だった
今回のミッションに合わせて用意されたロッドたち。左の2本はブローニング。右端はハーディー。ブラックバスがルアーフィッシングの人気魚種になるのはもう少し後で、当時はニジマスやイワナ、ヤマメなどサケ・マス類が中心だった
早朝、三浦さんがニジマスをかけたタックルは、ハーディーの6.5フィートのグラスロッドにアブ・カーディナル3という組み合わせだった。ルアーはラパラのカウントダウン5cmで、ラインは4ポンドテスト
早朝、三浦さんがニジマスをかけたタックルは、ハーディーの6.5フィートのグラスロッドにアブ・カーディナル3という組み合わせだった。ルアーはラパラのカウントダウン5cmで、ラインは4ポンドテスト
渓流魚も主要対象魚だった当時は、クローズドフェイスリールとの組み合わせでキャスティングロッドも多用され、ライトな日本専用モデルの設定も見られた。これはブローニング31291J。末尾のJが日本モデルであることを示している
渓流魚も主要対象魚だった当時は、クローズドフェイスリールとの組み合わせでキャスティングロッドも多用され、ライトな日本専用モデルの設定も見られた。これはブローニング31291J。末尾のJが日本モデルであることを示している
※撮影:浦壮一郎/文:三浦事務所
※このコンテンツは、2011年9月の情報をもとに作成しております。最新の情報とは異なる場合がございますのでご了承ください。