ACCORD/VIGOR(CONCEPT)
- 1985.06
日本を魅了したアコードは、アメリカでもセンセーションを巻きおこすこととなった。 二代目アコード。
1981年、アコードはフルモデルチェンジ、ビガーを発売。第二ステージへと登ることになります。 それは同時に、日本のみならず世界でも認められた、アコードの第二のエポックでもありました。『独創のワールド・クォリティ』。これが二代目アコードに冠せられたキャッチフレーズでした。
これまで、世界で絶讃を浴びてきたアコードの『車質』、すなわち運転のしやすさ、静かさ、快適な乗り心地といった基本性能は一段と向上し、しかも、その基本性能をさらに際立たせるために、ホンダ・ヒューマン・エレクトロニクスをはじめとする数々の先進機能を搭載しました。
例えば、ホンダ独自のクルーズ・コントロール、日本初のオートレベリング・サスペンションなど、そのそれぞれが、ホンダの先進性をよく物語っていました。ホンダならではの独創性にあふれ、世界でトップレベルのクォリティを備えた、まさに『独創のワールド・クォリティ・カー』。真に快適な、価値あるクルマをつくるためであれば、それがたとえ贅沢な機能でも、わけ隔てなく標準装備する。このホンダの『快適思想』がその全身に貫かれていました。
オハイオ州ホンダ・オブ・アメリカ四輪車工場 |
このことは世界市場でも大いに認められ、特にアメリカ市場での歓迎のされかたは劇的でした。アメリカにおける日本メーカー車の単一機種販売実績で、アコードは256,646台※を達成。’82年から’83年、’84年と3年連続一位という栄光を手に入れるとともに、権威ある自動車専門誌(CAR AND DRIVER)の10ベストカーにも2年連続で選ばれるなど、輝かしい記録を打ち立てました。 世界の90ヵ国で愛され、注目を浴びてきたアコードは1982年11月、ついにアメリカ・オハイオ州で日本初の乗用車現地生産を開始。発展途上国での現地生産はめずらしくありませんが、アメリカのような先進国で、しかもこの早い時期から現地生産を開始したということは大きな意義がありました。米国での生産は、今年、15万台、来年は30万台体制へと大きな飛躍が予想されています。
これも世界に認められた卓越のクォリティがあって初めてできた快挙といえるでしょう。
※’84年1月〜12月。オハイオ工場生産分を含む。出典:米国専門誌WARDS。
|
|