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Honda Face Top > CASE24:(株)本田技術研究所 二輪R&Dセンター EPISODE-1

Face (株)本田技術研究所 二輪R&Dセンター Face Top

実現賞の受賞から2年後の2004年に完成した電動バイクのマラソン先導車「Dream Queen」。

実現賞の受賞から2年後の2004年に完成した電動バイクのマラソン先導車「Dream Queen」。

2002年、夢コンテストの実現賞を共同受賞した3人(当時の写真)。左から、小野雄司・池田健一郎・村山孝。

2002年、夢コンテストの実現賞を共同受賞した3人(当時の写真)。左から、小野雄司・池田健一郎・村山孝。

2002年の「夢コンテスト」に、偶然3人が同じ「排出ガスゼロのマラソン先導車」で応募しました。

 Honda二輪車の研究開発機関である(株)本田技術研究所 朝霞研究所(2002年当時、現二輪R&Dセンター)には、かつて「夢コンテスト」という制度がありました。所内の誰でも自由に自分のやりたいことを応募し、「実現賞」に選ばれると、その夢の実現を会社がバックアップしてくれるという制度です。夢の内容は、空を飛びたい、地に潜りたい、食べたい、飲みたいなど何でもOK。とは言え研究所の制度ですから、集まるのは何かしら「技術の実現」に関わる夢がほとんど。毎年行われていた「夢コン」には、多くの従業員がこぞって応募し、自分の夢の素晴らしさを訴えていました。
 2002年、この「夢コン」に、偶然にも同じアイデアが別々の3人から応募されました。それは「排気ガスゼロのバイクを作って、そのバイクでマラソン競技大会を先導する」というもの。このアイデアは見事「実現賞」を共同受賞し、受賞者となった小野雄司・池田健一郎・村山孝の3人は力を合わせてその実現を目指すことになったのです。
 「夢コン」の目的は自己啓発です。夢の実現を会社がバックアップすると言っても、それはあくまで金銭面や設備利用についてであって、受賞者は業務外の時間を使って自分の力で設計や製作を行うことになります。言わばクラブ活動を会社が応援するようなもの。業務としてではなく、自分の夢の実現のために頭を使い、技術を磨くことが自己啓発につながるというわけです。
  小野・池田・村山は、業務時間外に3人で集まり、まずはディスカッションから始めました。

(株)本田技術研究所 二輪R&Dセンター 小野雄司 研究員

(株)本田技術研究所 二輪R&Dセンター
小野雄司 研究員

(株)本田技術研究所 二輪R&Dセンター村山孝 研究員

(株)本田技術研究所 二輪R&Dセンター
村山孝 研究員

同じアイデアを出した3人。でも、そこに込めた思いは3人バラバラでした。

 偶然にも同じアイデアを出し合った3人でしたが、集まって話し合ってみると、そこに込めた思いは3人バラバラでした。
 小野が当時を振り返ります。
 「私は自分でマラソンやトライアスロンの競技に参加していましたから、実際に先導車のすぐ後ろを走った経験もありました。それで、排気ガスの臭いがいかに競技者の集中力を妨げるか知っていたんです。
 走っている間、ランナーは神経を研ぎ澄まして、いわゆる『ランナーズハイ』の状態になります。その時ほんの少しでも排気ガスが臭うと、集中力が乱れてしまう。結果的に記録が伸びないという事態にもつながるんです。
 そこで、競技を行う環境を向上させたいという思いから、電動バイクの先導車を提案しました。冗談じゃなく、本気で世界記録の樹立に貢献する先導車を作りたいと思ったんです」
 そんな小野に対し、村山と池田はまた違った理由から電動バイクのマラソン先導車を発想していました。
  「私(村山)は当時、開発の現場を離れた部署にいました。でも、やはり自分で何か作りたい。自分が作ったものが走る姿を見たい。マラソン先導車なら、それが2時間テレビに映りっぱなし。自分の夢を2時間映りっぱなしにできるじゃないか。日ごろの業務で、モノ作りという自分が本当にやりたいことができていない鬱憤(うっぷん)を、ここで一気に晴らしてやろう。そんな発想でした」
 村山は、今回取材に参加できない池田の当時の気持ちも代弁します。
  「当時、マラソンの審判車や報道車に、他社のハイブリッドカーが使われはじめていました。一方、先導車の白バイはほとんどがHonda製でしたが、こちらはもちろんガソリンエンジン車。それを見て池田は、『どうせならウチの先導車もハイブリッドか電動にしちゃえば良いのに』と思ったんです。マラソンの先導なら50km足らずの距離を20〜30km/hで走ればいいのですから、技術的に大きなハードルは無いはず。できるはずのことをやらないのはエンジニアとしておかしい。当時の池田はそう言ってました」
 それぞれの思いと異なる方向性で集まった3人でしたが、打ち合わせを重ねるうちに、小野のリードで次第にひとつにまとまっていきました。
  「自身が競技者であるというリアリティ。そして競技者目線の発想というオリジナリティ。何より『俺たちのバイクがマラソンの世界記録更新に貢献するんだ』という熱い思いに、だんだん感化されていったんです」(村山)