八郷社長 オープニングメッセージ

私の仕事観と働く女性観

 皆さん、こんにちは。八郷です。今日は、このように多くの皆さんに、ダイバーシティーフォーラムに参加してもらい、本当にうれしく思っています。今回のようなフォーラムは、Hondaとして初めての開催になるので、どのようになるか楽しみにしています。最後の懇親会まで、今日1日、皆さんにとって充実した日になればと思っています。Hondaが取り組んでいる多様性の施策については、この後、向後さんから話をしてもらうので、社長の立場からというより、私自身の人生から学んだことを話したいと思います。

 1つ目は生まれてからHondaに入るまで、2つ目はHondaに入ってから学んだことです。私が幼少の頃はまだ女性が運転免許を取ることが少なかった時代でしたが、私の母は働きながら免許を取り、いろいろな所に連れていってくれました。それが、クルマを好きになったきっかけで、クルマの会社に入ったのは母の影響だったと思います。その母は私が物心ついた頃から70歳までずっと働いていました。働く母は、いつもニコニコ楽しそうにしていたので、それを見た私は「仕事は楽しいものなのだろうな」と思うようになりました。子どもは「父親の背中を見て育つ」と言いますが、私は母の背中を見て育ったように思います。母は、今でも「隆弘、仕事は楽しいか?」と聞きます。「楽しいよ」と答えると喜んでくれます。これが「仕事は楽しくするもの」という私の仕事観と、働く女性観のベースとなりました。

 Hondaに入ってからの私のキャリアは商品・技術開発の現場にいた20年とマネジメントの15年の大きく2つにわかれます。その中で一番大切な経験は「つながり」を作ったことです。現場での「お取引先・社外とのつながり」「部門を超えたつながり」、マネジメントでの「部門とのつながり」「海外とのつながり」の4つです。

 まず、お取引先・社外とのつながりです。入社後、ブレーキ設計を担当した時「割の合わない」仕事だと思いました。うまくいってあたり前、少しでも失敗すると大変な問題を起こしてしまう部門でした。ただ、入社して間もない時期に、ブレーキに関わる多くのお取引先・社外の方々と一緒に仕事をする機会に恵まれたことは、その後のキャリア形成において非常に良い経験になりました。

 次に、部門を越えたつながりです。その後、自分の夢だった機種開発のプロジェクトの仕事を13年やりました。ここでは、開発だけでなく、営業、生産、購買といった部門を超えたプロジェクトになるので、部門を超えた「つながり」を作ることができました。同時に、プロジェクトに対する、部門の冷たさというものも学びました。この時期は、部門との戦いも、もう1つの大きな経験でした。でも開発責任者(LPL)は、楽しかったです。

 そしてマネジメントする立場になった後、部門とのつながりを経験しました。部門のマネジメントを初めて経験し、部門の大変さもよくわかりました。ただ、私はHondaの良いところは、プロジェクトが活き活きと活動し良いものを生み出すことだと思っていますから、部門をマネジメントするにあたっては、プロジェクトも大切にするマネジメントを心掛けていました。

 最後に、海外とのつながりについてです。私は、アメリカ、イギリス、中国の3ヵ国に、マネジメントする立場で駐在し、そこで海外の人達との「つながり」を作ることができました。これは、本当に良い経験でした。アメリカの研究所に駐在した時、デザイン部門を見ていたのですが、全てを現地化しようと、現地の人にそれを伝えると 「それは良くない。現地の人と日本人それぞれ違う文化が融合して、新しい価値が生まれる。アメリカ人だけでやれば、いつかアメリカ企業と同じになってしまう。」と言われたことを覚えています。現地の人の言う通りで、Hondaの強みは、文化や部門を越えつながり、議論する事で、新しい価値を生み出すところ。これこそが、多様性だと思います。

 今日は、是非このDiversity Forumを通して、皆さんも新しい「つながり」を作って、仕事を楽しんでほしいと思います。