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伝説となったHonda Sシリーズ
Honda S500
(1963) Honda S500
 



名車“エス”は独創メカの集合体

Honda初の市販4輪車は'63年8月発売の軽トラックT360だが、初の普通乗用車はスポーツカーのS500である。Hondaは当初、軽自動車枠に収まる乗用車としてS360(排気量360cc)を計画していた。だが2座席スポーツカーは、軽自動車本来の存在意義に添わないとして、型式認定が降りない危険性がある。そこで排気量500ccのS500も並行開発したのだ(結果としてS360は市販されなかった)。S500にはHondaらしい高度で独創的なメカが満載されていた。エンジンは水冷並列4気筒2バルブDOHC・531ccで、各気筒に1個(4連)のCV型キャブレターを装備。クランクは一般的な一体式ではなく組み立て式(クランク支持にニードルローラーベアリングを使用しているため)。これら2輪グランプリマシン並みのメカニズムから、最高出力44ps/8000rpmを発揮。排気量1000ccあたりの出力が83psという、超高回転高出力型エンジンだ。サスペンションは、フロントがトーションバー型スプリングを使ったダブルウィッシュボーン、リアはコイルスプリングを使ったトレーリングアームの前後独立懸架。面白いのは後輪駆動(デフから後輪への動力伝達)にチェーンを使っている点で、チェーンケースがトレーリングアームを兼ねている。この構造はトランク容積を広げるため、当時の社長・本田宗一郎氏の鶴の一声により採用されたといわれる。車体構造はラダーフレームに鋼板のボディを載せるというもの。モノコック構造(ボディとフレームが一体)が主流になり始めていた当時としては、意外に手堅い設計だ。S500は'63年10月に発売されたが、45万9000円という予想外の低価格('60年発売の2輪車CB72が18万7000円)もあって、幅広い人気を集めることになった。S500は発展型のS600にすぐ代替わりしたため、非常に希少なモデルである。なおイラストの車両が装備するバックランプは、当時オプション扱いで、標準仕様には付いていなかった。

Honda S600 COUPE
(1965) S600 COUPE
 



傑作S600に追加されたクーペボディ

大きな話題を集め'63年10月にデビューしたS500だが、小排気量ゆえのトルクの細さは否めなかった。そのため翌'64年3月に、排気量を606ccに拡大したS600が登場することになる。S600の最高出力は57ps/8500rpm。リッターあたり94psの超ハイチューンであり、この数字はHondaS500/600/800のシリーズ中で最高のものだ。最高速は当時の1200ccクラスに匹敵する145km/hをマーク。デビュー当初のボディはS500から大きな変化はなかったが、間もなくラジエーターグリルとバンパーのデザインが変更され、それまで装備していたヘッドランプ部の透明カバーが廃止されるという変化もあった。デビューから約1年後の'65年2月、S600のラインナップに追加されたのが、鋼板の屋根をもつS600クーペである。S600クーペで特徴的なのは、エンジンルーム/キャビン/トランクが独立したデザインではなく、キャビンとトランクが一体のファストバックだという点。トランクリッドは現在でいうハッチバック型で、ラゲッジスペースはオープンボディより格段に広く、乗用車としての実用性も高かった。オープンのS600の車重が695kgなのに対し、S600クーペは715kgと重くなっているものの、クーペのほうが空気抵抗が低いために最高速は同一とされる。なおS600は、'64年5月に鈴鹿サーキットで開催された第2回日本グランプリのGT-1クラス(1000cc以下)で優勝。同年9月にドイツのニュルブルクリンクで開催された500km耐久レースの1000ccクラスでも優勝するなど、レースで大活躍。本格的スポーツカーとしては比較的安価だったことから、多くのレース指向のドライバーに愛用され、“エスロク”の通称で親しまれた。'65年発売のトヨタS800(通称ヨタハチ)とは好対照のライバル関係にあり、さまざまな名勝負を展開。サーキットでもストリートでも多くのユーザーを魅了したS600は、歴史に残るライトウェイトスポーツの傑作といえるだろう。

Honda S800

(1966) Honda S800
 



時代を先取りし過ぎたレジャーカー

500cc〜600ccと発展してきたHondaSシリーズは、最終的に800ccのS800('66年1月発売)を生むに至る。エンジンの基本形式はS500以来の水冷並列4気筒2バルブDOHCで、排気量791ccから最高出力70ps/8000rpmを発生。最高速度は160km/hと、当時の1600ccクラス並みの数値である。ボディはS600を踏襲し、オープンとクーペの2タイプが用意されていた。外装はグリルやテール部のデザインが変更されたが、最大の特徴はボンネットのパワーバルジ(コブ)だろう。このパワーバルジの有無が、S800とS600以前を見分ける際、最も分かりやすいポイントである。S800はデビュー間もない'66年5月にマイナーチェンジ。S500以来の後輪チェーン駆動&トレーリングアーム式サスが廃止され、一般的なシャフト駆動のリジッドアクスル(コイルスプリング)に変更された。この改良により、騒音発生などチェーン特有の問題が解消された反面、トランクルームの容積は小さくなってしまった。'68年5月には最終型S800Mが登場。S800の輸出仕様に採用された各種の安全装備(ラジアルタイヤ、前輪ディスクブレーキ、ボディ4隅のマーカーなど)を、国内向けにも採用したのがS800Mだといえよう。S800は全長×全幅×全高が3335×1400×1200mmと非常に小柄なクルマであり(S500/600も基本的に同一)、運転席に座ると横方向はさすがに狭い。しかし前後方向は見た目以上の寸法が確保され、長身の人でもそう窮屈ではないはずだ。当初から欧米などの市場も視野に入れていたのだろう、と思わせる部分である。S600同様、S800も内外のレースで大活躍し、ファンの胸を熱くした名車といえよう。しかしSシリーズは実用性に欠ける2座席スポーツカーだけに、大量販売を望めないのも事実だった。結局Hondaは'70年にS800の生産を中止。S500/600/800のシリーズとしての累計生産台数は、2万5853台に留まっている(ちなみに軽トラックT360は同10万8920台)。

 

Honda S800 RSC

(1968) S800 RSC RACING VERSION
 



大排気量車を打ち負かしたレーシングS

HondaSシリーズはデビュー間もない時期からレースで大活躍する。S600発売直後の'64年5月、鈴鹿サーキットで開催された日本グランプリのGT-1クラスでは、R・バックナム(初期HondaF1のドライバー)のS600が優勝し、高橋国光や北野元など当時のHondaGPライダー陣が上位を独占。同年9月にドイツのニュルブルクリンクで行われた500kmレースでも、D・ハルム('67年F1世界チャンピオン)がS600に乗りGT-1クラスで優勝している。本格スポーツカーとしては割合に安価で性能も高かったため、多くのドライバーがS600や後継車S800でレースに入門し、腕を磨くことになった。そんな流れを受け、Hondaはセミワークス的な存在として、'65年にRSC(レーシング・サービス・センター)を設立。レース用パーツを開発しレースの場で性能を誇示する一方、プライベーターにもキットパーツを供給したのである。この車両はRSC契約ドライバーの永松邦臣&木倉義文が乗り、'68年8月4日の鈴鹿12時間レースに出場したS800だ。エンジンは872.8ccまで排気量アップされ、100ps以上のパワーを絞り出す(ノーマルは791cc、70ps)。足まわりやブレーキも強化されているが、外観上の最大の特徴は、通常のオプションパーツに比べて平坦な形状で、空気抵抗を抑えたハードトップだろう。このマシンは同レースのGT-1クラスで優勝し、総合でも3位(上位2台は3000ccのトヨタ7)という好成績を収めた。海外レース挑戦のパイオニアである生沢徹も、RSCチューンのS800に乗って、'67年のニュルブルクリンク500kmレースでクラス優勝を果たしている。またドライバーだけではなく、多くのチューナーやコンストラクターも、Sシリーズで経験を積んだ。HondaSシリーズは、日本におけるモータースポーツの発展に、さまざまな形で貢献したというこ とができるのだ。なおRSCは現在のHRC(Honda・レーシング・コーポレーション)の前身である。

 


Text by Nobuyuki Higashi
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