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Honda第一期F1/ジョン・サーティーズの加入
RA273
RA273
 


F-1規定は1966年から3Lへと改まった。Hondaの対応は若干遅れ、9月のイタリアGPになってようやく新型"RA273"はお目見得した。新開発のパワフルなV12エンジンはオーソドックスな縦置きとされ、スタイリシュなボディを持っていたが、重量過多が難点だった。緒戦の高速モンツァでギンサーは一時2位にまで上がる健闘を見せるが、タイヤ・バーストからクラッシュしてしまう。最終戦メキシコでは4位入賞。翌'67年を前にチーム体制は一新され、ギンサー/バックナムに代わって、'64年世界チャンピオンのイギリス人ジョン・サーティーズが迎え入れられた。'67年開幕戦の南アフリカGPでは幸先良く3位に食い込むが、間もなく名車ロータス49・フォードが登場したこともあって、以降シーズン半ばに至っても4位と6位が1回づつという不本意な成績しか残せない。チームは急遽、"RA273"に代わる新型マシーンの開発に着手した。'67年7月のことだ。

RA300

RA300
 


1967年夏、たった1ヵ月半で作りあげられた新型車はRA300と命名された。ジョン・サーティーズと個人的に親しい関係にあったレーシングカー・コンストラクター「ローラ」社の協力があって初めて可能なことだったが、RA300のパーツの一部がローラ製だったことから、口の悪い外国人記者は”ホンドーラ”と呼んだ。急拵えのマシーンではあったが、大幅な軽量化によってパワフルなエンジンも有効に使え、このマシンにとっての緒戦イタリアGPで素晴しい快走を演じることになる。モンヅァの高速コースでは各車が集団になってスリップストリーム合戦を展開する。9位スタートのサーティーズ/HondaRA300は第2集団からジワジワと浮上、残り10周を切ったところでいよいよトップ争いに加わった。ラストラップの最終コーナーでジャック・ブラバムを抜き去ると、最後の直線、渾身の力を振り絞って加速する。真横に並んだブラバムをわずか0.2秒差で振り切りHondaはF-1通算2勝目を挙げた。それは歴史に残る激闘だった。

 

RA301
RA301
 


1968年シーズンに向けて新開発されたRA301はフルモノコック構造で軽量化も達成、従来の欠点もほぼ改善され、ドライバーのジョン・サーティーズともどもチャンピオン獲得を狙ってシーズンインした。英国に活動拠点を置きRA301を擁して戦うチームとは別に、日本では斬新な空冷V8エンジン搭載のRA302が優先されて制作されており、このためRA301のエンジン開発が遅れ、ベルギーGPやイタリアGPでは悠々とレースをリードしながら、ともにエンジンの熟成不足に起因する不運なリタイアを喫する。この年のF-1はシーズン途中から巨大ウイングを装着することが流行し始め、HondaもイギリスGP以降ウイングを背負う。シーズン後半からデビッド・ホッブス、ジョー・ボニエ等がチームに加わり2カー体制でレースに臨んだが、最高位がフランスGP2位とアメリカGP3位という、当初の予想と裏腹の不本意な戦績に終った。量産車の開発に本田技研の総力を傾倒させるとの決定により、'68年シーズンの閉幕と同時にF-1への参戦は休止され、"Honda・ミュージック"として親しまれた5年間弱のHondaの第一期F-1活動は幕を閉じた。

Text by GIRO
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