arrowSEEVERT GALLERY TOP

SEEVERT GALLERY
INDEX BACK NEXT
RC115/RC116 最小排気量RCレーサー
Honda RC115
(1965) Honda RC115 
Honda RC116
(1966) Honda RC116
 



RC115/116最小排気量RCレーサー 1965 RC115/1966 RC116
 
1961年にHondaが世界グランプリ50ccクラスに投入した4ストローク単気筒のRC111が一新され、1962年に世界初の4ストローク、2気筒50ccレーサーRC112がデビューした。。その後RC113,114と改良を重ねられた50ccレーサーは、1965年にエンジンが一新され、RC115となった。従来33×29mmだったボア・ストロークがショートストロークの34×27.4mmとなり、最大出力13ps/20,000rpm、最高速150km/h以上をマークした。このマシンを駆って、1965年にはラルフ・ブライアンズとルイジ・タベリの二人が7戦中5勝を挙げ、ブライアンズがチャンピオンを獲得し、Hondaに初の50ccタイトル(ライダー/メーカーの両方)をもたらしたのである。翌'66年に投入された最終型のRC116は最大出力14ps/21,500rpmを誇り、車重50kgと2ストローク・マシンよりも軽く仕上がっていた。最高速175km/h以上と究極の50ccレーサーと呼ぶのにふさわしい存在だったのである。9速トランスミッションを巧みに使って、ブライアンズとタベリの二人は'66年にも健闘し、6戦中3勝を挙げ、メーカー・タイトルを死守した。


ラルフ・ブライアンズ/Ralph Bryans

1942年、3月7日 ベルファスト(北アイルランド)生まれ。1959年、17歳の時に初レースに出場したラルフ・ブライアンズは、1963年にはアイルランド選手権の350cc、500ccクラスで優勝。1964年にHondaと契約して50ccと125ccクラスに参戦した。50ccクラスでは、一年目の'64年には4ストローク2気筒のRC114に乗って9戦中4勝を挙げたが、H・アンダーソン(スズキ)に破れ、ランキング2位に終った。しかし、翌'65年にはRC115駆って見事世界チャンピオンを獲得。タイトル防衛に臨んだ3年目の'66年、ブライアンズは、H・アンシャイト(スズキ)に破れ、ランキング3位に終った。しかし、ブライアンズの活躍は、この年のHondaの5クラス・メーカー・タイトル獲得に大きく貢献したのだった。125ccクラスの方でも、'64年5位、'65年8位、'66年3位と健闘し、小排気量クラスのスペシャリストとしての名声を得ていたブライアンズだったが、‘67年にはHondaが50ccと125ccクラスから撤退したため250cc(ランキング4位) と350cc(同3位)クラスに参戦した。しかし、'68年になるとHondaが世界グランプリから完全に撤退したため、ブライアンズも世界グランプリを離れることになった。童顔で“ベビーさん"と呼ばれていたブライアンズはHondaの日本人スタッフの間でも人気者だった。

Text by Yoko Togashi
INDEX BACK NEXT
このページの先頭へ
Copyright (c) Seevert Works 個人的に鑑賞する以外の転用はご遠慮ください