(1996) Honda NSR500


1984年にデビューしたHonda2ストロークV型4気筒1軸クランクの500ccレーサーNSR500は'92年に一新され、“同爆"エンジン(2気筒を同じ燃焼行程として発生するトルクの位相を変えることで、リヤタイヤの冷却促進をも促し、グリップの向上安定を図ったエンジン。ビッグバン・エンジンとも呼ばれる)が投入された。この年ミック・ドゥーハンは惜しくもタイトルを逃したが、NSR500のポテンシャルの高さは歴然としており、他のメーカーもこぞって“同爆化"の手法を採用していったのである。負傷から立ち直ったドゥーハンは、'94年に14戦中9勝を挙げて念願の初タイトルを獲得した。その後もNSR500とドゥーハンは、'95年(7勝)、'96年(8勝)、'97年(12勝)、'98年(8勝)と破竹の勢いで世界グランプリ500ccクラスを席捲していった。'97年以降、ドゥーハンや他のライダーは、スクリーマー・タイプのエンジン(ビッグバンとは異なる爆発間隔を持つエンジン)も使用しているが、NSR500の基本コンセプトは'92年以来変わっていない。圧倒的強さを誇るNSR500は1990年代最高の“究極のレーサー“と呼ぶのにふさわしい存在なのである。
ミック・ドゥーハン/Michael Doohan
1965年6月4日、オーストラリア、ブリスベンで生まれる。9歳のときにオフロード・レースを始め、1984年、19歳のときにロードレースに転向。1989年からHRCのワークスライダーとしてHonda NSR500を駆り、世界グランプリ500ccクラスに参戦を開始した。一年目の'89年こそランキング9位に終ったが、その後'90年同3位、'91年同2位と着実に実力をあげていった。しかし、'92年、シーズン開幕から7戦を経た段階で5勝を挙げ、チャンピオン争いに大手をかけていたドゥーハンは、六月末のダッチTTの時に転倒し、大怪我を負う。シーズン終盤にカムバックするが、体調不十分のため、その年は惜しくもランキング2位に終った。その後、'93年も負傷が完治していなかったためランキング4位となったが、'94年からは一転して圧倒的強さを誇り、五年連続500cc世界タイトルを獲得した。しかし、六連覇をめざした'99年、シーズン序盤に負った負傷のため、残りのレースを欠場。その後、12月10日に惜しまれながら引退を発表した。世界グランプリ通算優勝回数54勝という記録は、A・アゴスチーニに続く歴代2位で、GP史上に燦然と輝くものである。また、鈴鹿8耐にも何度か出場し、'91年にはW・ガードナーと組んで優勝している。
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選ばれしGPライダ−/世界チャンピオンの告白”冨樫ヨーコ著/講談社刊行 *ドゥ−ハン以外にもウエイン・レイニー、岡田忠之、ノリック、青木治親、原田哲也、坂田和人各選手とのインタビューを元に構成された、興味深い一冊です。 お近くの書店にてお求め下さい。ISBN4-06-209858-X 2,400円+税 |