強い志を持った人たちから生まれた、リアルスポーツカー。

開発責任者 上原 繁

S2000の開発で、一番印象に残っていることは、VSフローといって、S2000を熟成させるためにプロトタイプをヨーロッパに持ち込み、そこで徹底的に走ったことです。我々は、バリュー・スタディー(VS)と名付けて、オープンの楽しさと、スポーツカーの性能を磨き込む作業を徹底して行いました。スイス、ドイツ、イギリス、フランスとヨーロッパ各国の道を走り込み、議論を重ねどう熟成していくかを方向づけていきました。

クルマの開発は、困難で大変だとよく言われますが、S2000の開発は、楽しい思い出がたくさんあります。それは、開発する側が自ら楽しい経験をしながらつくり上げなければ、楽しいクルマはできないという信念があったからです。
ヨーロッパを走るVSフローを徹底的に行ったために、開発は半年遅れになってしまいました。当初、Hondaの50周年となる1998年に出す予定でしたが、それが間に合わず、翌1999年の発売になってしまったのです。徹底的に楽しく、目標に対し完璧なクルマにしたいという、S2000に対するHondaのこだわりは、それほどだったのです。

我々はS2000を、リアルオープンスポーツという、他に類がない、唯一無二のものにしたかった。そうした想いが最初からあり、最後までぶれることなく完成へと至りました。その想いは、「ボディ剛性が低いオープンカーでは、本格的なスポーツカーが出来ない」という一般常識への挑戦だったのです。
ですから、S2000の本籍をサーキットと決めました。オープンカーとしてはかなり硬派なポジショニングです。しかも、ただ本格的なのではなく、走って楽しくなければならないと。ドライバーに“楽しい”という感覚を与えることを第一義に考え、そうした性格を与えるべく開発を行いました。

「感覚性能」という言葉を生み出し、車両のレスポンスを高めることに務めたのです。ハンドリング、エンジンのレスポンスから、幌の開閉の仕方まで、一つの貫かれた「感覚性能」で通したのです。それを実現すべく、常識を超えた高剛性ボディを実現したハイXボーンフレームをはじめ、エンジン、トランスミッション、ステアリング、サスペンション、電動幌など多くの新技術を開発しました。

このように、リアルオープンスポーツというコンセプトから、技術の端の端までつながっているクルマは、ほかに例がないと言っても過言ではないと思います。それ故、S2000は唯一無二であり、孤高なのです。

その後10年にわたり、コンセプトをまったく変えずにS2000を進化させてきました。時代に適合させ、さらにコンセプトを深化させ、“S2000道”を歩み続けることになりました。VGS、リアウインドウのガラス化、タイヤサイズアップ、サスペンションのリファイン、エンジン排気量アップ、エクステリア、インテリアの進化、どれもが、リアルオープンスポーツとして、より一層高いレベルをめざした結果です。

発売してから10年間、実に様々なことがありました。
そのひとつ一つが、良い思い出となって残っています。世界からたくさんの方の支持を得て、11万人以上のオーナーの方々と志を同じにすることができました。我々のコンセプトに、真に賛同してくださった方々です。おかげさまで、S2000を完成へと導き、終えることができました。
スポーツカーは、時代背景、メーカー側のニーズと実力、お客様の期待といった背景が整って初めて世に出すことができます。まして、個性の強いスポーツカーともなれば、生まれ出る背景には、命をかけ、覚悟を決めた人たちの強い意志が存在しているのです。そんな、強い志を持った人たちから生まれたS2000は、まさに希有な存在です。ヨーロッパのワインディングを気持ちよくクリアしていくS2000の姿を思い浮かべつつ、S2000を愛する人たちへ、これからもS2000を、ぜひ大切に乗っていって欲しいものだと思います。

上原 繁 (うえはら しげる)

1971年、(株)本田技術研究所入社。入社以来、操縦安定性の研究に携わる。1985年からミッドシップリサーチプロジェクトのLPLとなる。1990年にLPLとしてNSXを誕生させ、S2000のLPLも務めるなど、Hondaのスポーツカー開発に携わった。現在はHondaを退職している。

関連サイト

スポーツカーWeb