松浦孝亮選手27歳、中野真矢選手29歳。気力・体力ともにアスリートとしてもっとも充実した時期を、それぞれインディカー・シリーズ、MotoGPというステージで戦うふたり。モータースポーツを始めたきっかけ、お互いのカテゴリーに対する疑問、子供の頃なりたかったもの……。同年代同士ならではのうち解けた雰囲気の中、「本当のところ」について語り合ってもらった。 |
1993年にレース活動を開始。鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラを卒業後、フォーミュラ・ドリーム、ドイツF3に参戦。2002年にはドイツF3でシリーズ2位を獲得した。2004年からIRLインディカー・シリーズにフル参戦を続けている。2007年はスーパーアグリ・パンサー・レーシングから出場。
1983年、5歳からポケットバイクに乗り始める。1998年に全日本ロードレース選手権でのチャンピオンを獲得し、WGPにステップアップ。2000年には250ccクラスでチャンピオン争いを演じ、ランキング2位を獲得。2001年から500ccクラス(現・MotoGPクラス)にステップアップ。2007年、コニカミノルタ・ホンダに移籍。
―モータースポーツを始めたきっかけについて聞かせてください。 松浦孝亮(以下 松浦):僕の場合は、実家がカートショップを経営していたこともあって、モータースポーツっていうのは割と身近なところにありました。でも小学生の頃はサッカー少年で、正直なところモータースポーツにはあまり興味がなくてスタートは遅い方でしたね。始めたきっかけは、レースをやっていた兄が、なんとなく楽しそうに見えて……。基本的に机の前に座ってるよりも体育の授業が大好きだったし、僕も同じように楽しめるかな?と。 ―なぜ四輪を選んだか、二輪を選んだか、理由はありますか? 松浦:やっぱり、タイヤは2本よりは4本のほうが安定してそうですから。バイクは前と後ろに一本ずつしかないからね(笑)。 |
―レーシングドライバー、レーシングライダーになると決めたのはいつですか? 松浦:カートを始めて1年半で全日本選手権のチャンピオンを獲って、その次の年には世界選手権でも勝って……というちょうどいいタイミングで、ARTAプロジェクトを立ち上げた鈴木亜久里さんから「うちで走らないか」と誘われたんです。「これで食っていこう」と決めたのはそのときです。その頃は、今みたいにカートがあって、フォーミュラのスクールがあって、というステップアップのためのプログラムは少なかったんです。カートと四輪の世界がすごく離れていて、なかなかステップアップが難しかったのですが、亜久里さんに声をかけていただいたのは自分がレーシングドライバーになる上での大きなきっかけだったといえると思います。 |
―お互い、異なるカテゴリーについて知りたいことはありますか? 松浦:前に、ムジェロかどこかで300km/hぐらいで転倒した中野さんを見た瞬間、「二度と乗りたくなくなっちゃうんじゃないかな?」と思ったんですけど。 |
―それぞれ、ドライバー、ライダーになっていなかったら、何になっていたか想像できますか? 松浦:野球選手になりたいと思った時期もありましたけど、お笑い芸人ですかね?もしそうなっていたら、M1グランプリをめざして、ネタ集めに、トレーニングに忙しかったんじゃないですかねぇ……。コンパでも、モテたかもしれないですね(笑)。 ―活躍の場である海外からでも気になる、好きな芸能人はいますか? 中野:流行に乗るようですけど、エビちゃん(蛯原友里さん)、かわいいですよね。 |
―Hondaのレーシングスピリットをどんなところで感じますか? 中野:今日、Hondaのモータースポーツ体制発表会があって、まさに今「Hondaのレーシングスピリット」を感じているところです。ドライバーやライダーがたくさん集まって、ほんとうにいろんなカテゴリーがあって……。モータースポーツ全体をリードしているんだな、今年から自分もその一員になったのだな、というのをひしひしと感じてます。 ―では最後に、新シーズンにかける意気込みをお聞かせください。 中野:日本でもヨーロッパと同じくらいMotoGPが盛り上がってくれたらうれしいですから、世界の強豪相手にがんばって、MotoGPを日本のレースファンにも楽しんでもらいたいですね。いい体制で新シーズンに臨めるので、ぜひ結果を残したいです。松浦さんも、僕も、海外で戦う日本人として注目されればたくさんの方がモータースポーツに興味を持っていただけると思うので。 |
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