佐藤琢磨が母国GPに臨むのは、今年で6度目となる。これまで5回の日本GPは、すべて鈴鹿サーキットが舞台だった。それが今回は、富士スピードウェイでの戦い。「改修される前の旧コース時代に、ツーリングカーで走ったことがある」という琢磨だが、ほとんど未知のサーキットといってよかった。
「あとは観客として、フォーミュラ・ニッポンを観に行ったりしてた程度ですね。それから学生時代に、自転車レースで走ったこともありますよ。日本では公道を閉鎖して行うロードレースは、ごくわずかしか行われないんです。その代わり、サーキットをよく使う。結果ですか？あまり楽しくなかったですね(笑)。自転車の場合、大学と実業団がいっしょにレースをすることが多くて。レベルの違いを、思い知らされました。」
富士山周辺は自宅のあった町田市から比較的近いこともあって、学生時代にはトレーニングをかねて、何度も自転車で往復したこともあるという。しかし2年前に生まれ変わった富士スピードウェイには、今回の日本GPが初めての訪問となった。
● 初めての富士スピードウェイ
未知のサーキットに臨む際、琢磨は具体的にどんな準備をするのだろう。
「まずはできるだけ、多くのデータを集めますね。ただ富士スピードウェイの場合、F１マシンでのデータがないでしょう。だからフォーミュラ・ニッポンの映像とか写真をできるだけたくさん集めて、じっくり検討しました。データの解析も大事ですけど、具体的な絵から走行イメージを自分の中で作って行くことを、僕は大事にしてますね。」
「そして実際にサーキットに行ったら、まず木曜日に歩く。これは路面の凹凸とか、縁石にどこまで乗れるかを確認するのが、主な目的です。ただ走行ラインのイメージは、歩くのでは遅すぎて、つかみきれない。これが乗用車とか、せめてスクーターででも走れると、ずいぶん違うんですけどね。たとえばコーナーから立ち上がっていくラインでも、歩く場合は自分から外側に向かわないといけないでしょう。それがエンジンのついた乗り物なら、たとえスクーターでも自然に遠心力でふくらんでくれますよね。そのイメージを自分の中でコマ落としして、F１のスピードに近づければいいわけです。」
ゆっくり移動しながら目にした風景を、自分の身体が覚え込んでいる超高速の感覚に合わせ込んでいく。本人はこともなげに言うものの、F１ドライバーだけにできる芸当なのは確かである。
前日まで都内でのプロモーション活動に忙殺されていた琢磨は、木曜日にスピードウェイ入りした。まずは午前中の、「チャリティ・ピットウォーク」に参加する。琢磨の日本での人気は、やはり群を抜いている。全国各地からやって来た2000人以上の人たちの一番のお目当ては、誰よりも琢磨である。果てしなく押し寄せるファンに、琢磨は笑顔を絶やさずサインを続け、声援に応えた。そのため予定していたコースの下見は、30分ほど遅れて始まった。
チームメートのアンソニー・デビッドソンやエンジニアたちと、じっくり歩いて1周する。実際の印象は、どうだったのだろう。
「コースの高低差は、予想以上でしたね。スパや鈴鹿のアップダウンは、TVで見ただけじゃわかりませんよといつも言ってた自分が、すっかりだまされました(笑)。わあ、こんなにスゴイんだって。ずいぶんじっくりTV映像や写真を見たつもりだったのに、実際に歩くとまったく違うんですね。特に最終区間の、上り勾配がすごい。微妙に深いバンク角や、路面舗装のスムーズさも、よくわかりました。でも全般的には、非常に良くできたレイアウトだと思います。思った以上に難易度が高そうで、攻めがいもある。GPマシンで走るのが、楽しみですよ。」
● 得意のウエット路面で、真価を発揮できず。
日本GP初日は、朝のうちはやや雲が多かったものの、初秋の陽光がコース上に降り注いでいる。
初めてのサーキットに慣れるための習熟走行に加えて、日本GPに備えて持ち込んだ新しいパーツをいろいろ試したい。だから金曜日のフリー走行は、かなり忙しくなりそうだと言っていた琢磨。しかしいきなり、試練に見舞われた。午前中のセッションが始まってすぐ、チェック走行から戻ってきたマシンが、オイルやグリス漏れを起こしていたのだ。駆動系の組み付けミスのようだった。
琢磨のマシンはそれから1時間近く、ガレージに入ったまま。スタッフがギアボックスをTカーから移植する作業を、大急ぎで行う。それでもコースに出て行った時には、セッションの残り時間は30分を切っていた。なんとか15周をこなしたが、このセッション最多周回だったヤルノ・トゥルーリの32周に比べれば、半分以下の走行でしかない。タイムも、17番手が精いっぱいだった。
午後になるとさらに晴れ間が広がり、気温も午前中の２４℃から26℃まで上がった。2回目のフリー走行が始まると、琢磨は真っ先にコースへ向かった。2種類のタイヤを履き替えたりして、５～６周のランを繰り返す。このセッションでは午前中の倍以上の34周を走ったものの、タイムは最下位の22番手だった。
「やっぱり午後の1時間半だけでは、やりたいことの半分もできませんでしたね」と、琢磨。しかしそういいながらも、表情はさほど深刻ではない。
「ええ、そんなに心配してません。一番大切な基本データは取れたので、それをうまく使いこなして、予選、決勝と調子を上げていければ、問題ないですから。」
ここはインディアナポリス同様、長いストレートに代表される高速区間と、低中速コーナーの集中するインフィールド区間のふたつに、はっきりと性格が分かれる。そのどちらにマシンセッティングを合わせるかが、富士攻略のカギを握るといっていい。ダウンフォースを付けて低中速区間に合わせれば、コーナリング中のマシン挙動も安定するし、タイヤの持ちもいい。しかし最高速が出ない分、レースで抜かれてしまう恐れがある。かといって最高速重視にすると、低中速で苦しくなる。その折り合いを、どれだけ高いレベルでつけていくか。それを判断するためのデータが十分収集できたことが、琢磨が比較的楽観的でいられる理由だった。
ちなみに実際に走ってみての富士スピードウェイの感想は、「面白い、楽しい」だったという。
「走っていて、ほんとに楽しかったです。その楽しさが、きっちりスピードにつなげられれば、ベストなんですけどね」。
