モータースポーツ > 全日本ロードレース選手権 > SPOTLIGHT ON THE FIGHTERS 「Hondaで戦うライダーたち」 > 小林 龍太

今シーズン第3戦、ツインリンクもてぎで念願の全日本ロードレース初優勝を成し遂げた小林龍太選手。デビューから表彰台の真ん中に立つまでに10年を要しましたが、第4戦を挟んだ第5戦・岡山国際サーキットで圧倒的な強さを見せ、2勝目をあっさり獲得。同時に最終戦を残して、シリーズチャンピオンに王手をかけるランキング単独トップに躍り出ました。小林選手が全日本ロードレースに本格デビューしたのは2005年。17歳の小林選手はあどけなさの残る高校生でした。それでも、秘めたる闘争心は人並み外れたものがあり、そのギャップが関係者から高く評価されて2008年に名門ハルクプロに移籍すると、同年の第3戦で3位表彰台を獲得しました。2013年は一転、アジアロードレース選手権に参戦。ライダー同士がぶつかり合う、まさに一触即発のレース経験が小林選手の走りを一変させるきっかけとなりました。2014年のシリーズチャンピオンに向けて、最終戦も優勝を狙いにいきます。

■予選終了時点で2勝目の自信は持っていました

岡山国際サーキットでの第7戦は、決勝レースをどう組み立てるかに集中することができたので、今季2勝目を奪い取る自信はありました。ただ、2ラップ目に他車から接触され、あやうくコースアウトしそうになったのは想定外でした。それでも、踏ん張ってトップのままコース復帰。ポール・トゥ・ウインはできすぎでしたが、たとえどんなレース展開になったとしてもあわてることはありませんでした。タイヤが摩耗して他車のペースが大きく落ちる後半になっても、僕はペースを落とすことなく走りきれると分かっていたからです。

そのことは予選段階から実証済みでした。予選でのベストラップは2周目に出していますが、ほとんどコンスタントに1分33秒台半ばをキープ。タイヤがタレてきてグリップしなくなる予選終了間際にも、ほぼ序盤と変わらぬラップタイムを刻めたので、「決勝レースでも勝てる」という自信につながったのかもしれません。



■強さを見せつけて勝つこと

最終戦を残してランキング単独トップに立ちましたが、実を言うとチャンピオン争いよりも強さを見せつけて勝つことにウエイトを置いていました。1勝しただけではフロックだと言われかねませんからね。だからこそ、接戦をものにしたツインリンクもてぎの勝利とは違う形で勝ちたかった。「小林にはかなわないな」と思わせて、勝利をつかむことが今回のテーマでした。

ちなみに1勝目のときは、がむしゃらに走りきった結果の優勝で、ウイニングランもなんだか「ほわ〜っ」として他人事のようでした。ふわふわしたままホームストレートに戻ってきたら、以前のチーム監督である本田重樹さんをはじめ、チーム関係者がみんなボロボロ泣いていたのが印象的で「優勝するって大事なんだ」と痛感。2勝目は僕も喜びを表現しようと、ついホームストレートでバーンアウトパフォーマンスを楽しんでしまいました。



■勝利へのアプローチは先輩からいただいたヒント

実は、昨年のシーズンイン前なのですが、先輩ライダーと1カ月にわたる合宿を敢行しました。僕が自宅に押しかけて、寝泊まりしながらオフロードバイクに乗ったり、フィジカルやメンタルのトレーニングについて教えていただいたりしたのですが、その中で特にエポックだったのが「予選に対する考え方」の違いでした。彼のやり方は「とにかく決勝レースのように周回する」というもの。グリップが落ちてきたタイヤをどうコントロールするか、周回数によってマシンの挙動はどう変化するかを予選で確かめれば、グリッドの順番は関係ないというのです。

予選タイムにこだわるあまりセッティングの迷路に入り込んでしまうことが多かった僕にとって、それは大きなヒントとなりました。手ごたえは2014年開幕戦で感じました。結果は惜しくもレース1が3位、レース2が5位となりましたが、自分の中では「間違いなく勝てる」という確信のようなものをつかんだレースとなり、次戦ツインリンクもてぎでの初優勝につながったのです。



■アジアでのキャリアも大きな転換期となりました

2013年のアジアロードレース選手権参戦も、ターニングポイントでした。勝てない日が続き、もがいていた自分を変えるには「環境から変えるべき」と臨んだアジア各地でのバトル。決して慢心していたわけではありませんが、心のどこかには「全日本ロードレースで何年もやってきたのだから」という気持ちがあったのも事実でした。たちまちその気持ちが過信だったことを思い知らされてしまいましたけどね。6戦12レースあるのですが、日本ラウンド以外ほぼ初めてのサーキットばかり。事前テストなんてありません。しかも、日本と違ってコース整備のスキルが低く、いたるところがうねりやギャップだらけ。補修もアバウトでペンキみたいなものでごまかしたようなコースもありました。

そんな環境にもかかわらず、アジアの選手たちは当たり前のように接近戦をしかけてきます。わずかのスキがあれば、転倒につながるようなオーバースピードでもフロントタイヤをねじ込んでくるのです。おかげで毎戦のようにカウルは傷だらけ。グリッドを一つ上げるための繊細なセッティングよりも、ハングリーさが勝負を分けることを痛感させられた1年でした。4位が6戦と表彰台には届きませんでしたが、タフなレースを経験したことで動じない強さが磨かれた気がします。



■自らエントリーや設営までをする経験もプラスに

今シーズンから自分でチームを立ち上げて参戦していることも、自分の中では大きな変化になりました。過ぎるほどに恵まれた環境で戦っていた自分を見つめ直すきっかけになっています。レース関連のエントリーや申請書類の作成はもちろん、チームピットの設営、スポンサー各社への報告など、これまで自分がなにも知らなかったことに気づかされる毎日です。それと同時に、新鮮な驚きと出会いの連続で、レーサーとしての生き方に社会人としての考え方がプラスされ、多忙さを楽しめるようになっています。バイクのエンジンに火を入れる前に、これだけたくさんの煩雑なプロセスがあったなんて、経験して初めて分かることですから。

苦労と引き換えに自由も手に入れました。マシンを仕上げる段階で自分の考えを全面的に反映できるようになり、納得のマシンで戦えるようになりました。もう言い訳はできませんけどね。さぁ、残り1戦。大きく変わった小林龍太で年間3度目の優勝をもぎ取りにいきます。




INDEX
小林龍太 小林龍太 小林龍太 小林龍太 小林龍太 小林龍太 小林龍太