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全日本モトクロス2014 Team HRC現場レポート

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vol.14 モトクロス・オブ・ネイションズ

成田亮選手が語るチームジャパンの参戦史と2014年大会の抱負

全日本モトクロス選手権第5戦東北大会におけるライダーズミーティングで、9月28日(日)にラトビアで開催されるMXoN(モトクロス・オブ・ネイションズ=国対抗団体戦)に出場する日本代表が決まりました。今年のメンバーは成田亮(Team HRC)、熱田孝高(スズキ)、勝谷武史(カワサキ)の3選手。今回の現場レポートでは、長年エースライダーを務めてきた成田選手の活躍を軸に、チームジャパンの参戦史を振り返ってみました。

「初出場は1998年のイギリス大会。セキレーシングの熱田選手と僕がCR250R、増田一将選手がYZ125を駆るというチームでした。ヨーロッパでGPライダーと戦うのは初めてだったし、身体の大きさにビビったことを覚えています。アメリカだったらAMAナショナルのグレンヘレンやワシューガルを走って慣れていましたが、各国のトップライダーが集まるモトクロス・デ・ナシオン(旧称)は、レベルが違いすぎました。アップダウンがきついフォックスヒルのコースがマディになって、坂を上れないライダーが大勢いましたね。リッキー・カーマイケルも止まっていたほどです。チーム成績は残せなかったけれど、悔しいという気持ちはありませんでした。ただ、この1998年のイギリス大会が第一歩となって、今につながっていることは確かです」

モトクロスのワールドカップとも言われるこの大会に日本が初出場を果たしたのは、1990年のスウェーデン大会。団体総合リザルトは15位(東福寺保雄、宮内隆行、岡部篤史)でした。翌1991年のオランダ大会では、総合14位(宮内隆行、田渕武、荻島忠雄)となりましたが、その後は派遣中止や負傷によるDNSがあり、積み上げつつあった土台をまた一から築き上げなければなりませんでした。

1999年ブラジル大会は、直前に大たい骨を骨折した成田選手が出場できませんでしたが、日本は総合10位(小池田猛:9位/15位、熱田孝高:12位/18位、加賀真一:16位/DNF)に躍進。そして翌2000年フランス大会では、総合6位(高濱龍一郎:14位/23位、熱田孝高:7位/12位、成田亮:17位/12位)に入賞しました。この時の6位は、チームジャパンのベストリザルトとして歴史に刻まれています。

「2000年はスティーブ・ラムソンと2人でAMAナショナルにフル参戦したシーズンなので、すごく乗れていました。オールHondaというチーム編成も、まとまりがあってよかったですね。高濱選手はチャンピオン獲得の年、熱田選手はHRCに入って2年目で、みんな絶好調でした。チーム内には緊張した雰囲気もあったのですが、自分としては国の代表という気負いなどはなくて、ノンプレッシャーでした。デ・ナシオンの前に250ccから125ccに乗り換えたのですが、もともと思いきり回せる125ccが好きだったこともあって、伸び伸びと走らせてもらいました。125cc要員に成田を……というのが、このころのチームの作戦でしたが、間違っていなかったと思います」

2000年フランス大会における成田選手のリザルトは前述の通りですが、17位(オープンとの混走レースでの125クラス7位)、12位(250との混走レースでの125クラス3位)だったので、熱田選手のシングルフィニッシュに勝るとも劣らない成績だったと言えるでしょう。現行レギュレーションでも、決勝は2クラスずつの混走による3レース制ですが、MX1/MX2、MX2/オープン、MX1/オープンの順で行われます。

2001年のベルギー大会は、アメリカ同時多発テロ事件の影響で出場をキャンセル。2002年にはネイティブアメリカン居留地での大会が中止となり、スペインでの代替開催には遠征できず、2年続けて日本やアメリカが欠席する空白期間となってしまいました。

「2003年のベルギー大会は、フォーマットが変わって決勝が1レースになったのですが、リザルトは個人が8位で自己ベスト。最高に乗れていましたね。ゾルダー・サーキットに作られた難しいコースでしたが、ティム・フェリーとバトルしたことを覚えています。チーム成績6位は、2000年フランス大会と並ぶベストでした。ただ、フランスの時は125ccで割と無欲で走った結果の6位ですが、ベルギーではエースとして重責を背負っての6位なので、価値が違うと思います。なにしろ、予選レースで熱田選手が脳震とうを起こして決勝に出られなくなったので、増田選手と2人でめちゃくちゃ緊張しましたから……。でも、熱田選手は決めるときは決めてくれます」

2003年と同じメンバーで臨んだ2007年アメリカ大会では、成田選手が転倒で低迷しましたが、熱田選手が8位/7位と安定したリザルトを残し、450ccからCRF250Rに乗り換えた増田選手も23位/16位と健闘。チーム総合7位に入賞しました。この大会を境として、MXoNにおける日本のポジションは下降していきます。2008年17位、2009年遠征中止、2010年19位、2011年13位……。そして2012年、2013年と連続で決勝進出を逃してしまいました。アメリカ、ベルギー、フランスなどは別格としても、ヨーロッパの主要国と互角に渡り合っていた日本は、どこへ行ってしまったのでしょうか?

「世界中で『日本のモトクロスはどうしちゃったのか?』と言われていますよ。本気で心配されるのは恥ずかしいことです。ですから、今年は2年連続の予選落ちをリセットして、決勝でリザルトを残したい。そのために熱田選手と勝谷選手と行くのがベストだと考えて立候補しました。選手会のミーティングでは、現時点でのランキングよりもこれまでの実績を重視することが多数決で確認されました。勝谷選手は初出場になりますが、日本代表に選ばれたことはありますし、MX2クラスの年齢制限が撤廃されたことでまたとないチャンスが巡ってきました。3人とも30代半ばの“オッサン”ですから、過去ベストの6位を更新するとか、そんなつもりはありません。まずは予選を通過することです。そういう道筋をつけることができたら、後進に道を譲るつもりです」

1カ月半前の第4戦のSUGOでMXoN出場希望者を募ったとき、手を挙げたライダーは16人いました。ただし「行かせてもらえるのなら行ってみたい」ではなくて、「なにがなんでもオレが行ってやる!」という気持ちがあるのかどうかは疑問でした。

「若いライダーにもどんどん出ていってほしい。でも、ネイションズは経験しにいくところではありません。日本中の期待を背負って結果を出しに行くところでしょう。そこまで覚悟ができているライダーが現れるまでは、オッサンががんばりますよ」

9月27日(土)・予選、9月28日(日)・決勝。MXoNの開催地、ラトビアのケグムスに、チームジャパンはどんな戦果を刻むことになるのでしょうか。

「ビデオで見ましたが、ケグムスは藤沢みたいな硬めのサンドコースなので、楽しみです。HRCに所属して3年目ですが、HRCライダーとしては初めてのネイションズです。1年目は全日本タイトル獲得に集中したかったので辞退しました。2年目は北海道大会でリタイアしたり、スランプの真っ最中だったし、小島庸平選手と小方誠選手がランキング1〜2位だったので、そもそも資格がありませんでした。以前は自分でマシンやトランスポーターを手配して参戦したこともありましたが、今年は久々にワークス体制で挑戦できるので、『やるしかない!』という気持ちです」

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  • (左から)熱田孝高(スズキ)、成田亮(Team HRC)、勝谷武史(カワサキ)
  • 成田亮
  • 成田亮
  • (左から)成田亮、熱田孝高、高濱龍一郎(2000年)
  • 成田亮(2000年)
  • 成田亮(2000年)
  • 成田亮
  • 成田亮
  • 成田亮
  • 成田亮
  • 成田亮
  • 成田亮