モータースポーツ > インディカー・シリーズ > 2014総集編

インディカー・シリーズ

Honda V6ツインターボエンジンが年間6勝
シモン・パジェノーが総合5位、佐藤琢磨は18位で終える

Honda V6ツインターボエンジンのデビューイヤーとなった2014年、Hondaエンジン勢は年間6勝を挙げ、うち2勝したシモン・パジェノー(Schmidt Peterson Motorsports)が年間ランキングで5位、3勝のライアン・ハンターレイ(Andretti Autosport)が6位となりました。また、佐藤琢磨(A.J. Foyt Racing)は2度のポールポジション(PP)を獲得するなど速さをみせ、サーキットを沸かせました。

インディカー・シリーズでは、14年からツインターボエンジンの使用が義務化。シングルターボとツインターボのどちらを使用することも可能だった13年は、マニュファクチャラーによって、エンジンのタイプが異なっていましたが、統一された14年シーズンは、13年からツインターボに移行していたライバル勢にとっては熟成の年であり、Hondaにとっては挑戦の年となりました。

開幕戦のセント・ピーターズバーグでは、参戦5年目の佐藤が存在感を示します。佐藤は3段階ある予選のすべてでトップタイムをマークし、シーズン最初のPPを獲得。決勝では、3番手スタートのハンターレイが2位に入り、佐藤は7位でフィニッシュしました。

Honda勢の初優勝となったのは、第3戦アラバマでした。開幕戦と同じく、3番手スタートとなったハンターレイは、16周目にトップに立つと、そのままチェッカー。また2位には、チームメートのマルコ・アンドレッティが入り、Hondaエンジンが1-2フィニッシュを果たしました。

続く第4戦のグランプリ・オブ・インディアナポリスを、シモン・パジェノー(Schmidt Peterson Motorsports)が制したことで、Hondaの3連勝を目標に迎えた第5戦は、シリーズで最重要視されるインディ500でした。ツインターボエンジンの開発にあたっては、このインディ500で最もパフォーマンスが発揮できることを目指したHonda。そしてそれは、最初の年で早くも実現しました。決勝は、19番手スタートのハンターレイが、最初の10周でトップ10まで浮上。前半のうちにトップ集団に加わると、終盤にはライバルを退け、伝統あるレースでの勝利をHondaにもたらしました。

その後もHonda勢は、第9戦でルーキーのカルロス・ウエルタス(Dale Coyne Racing)が初優勝に輝き、同一ウイークに行われた第10戦では、パジェノーがシーズン2勝目を挙げるなど躍動。第12戦ではハンターレイがHonda勢最多となるシーズン3度目の勝利を手にしました。また、総合8位のカルロス・ムニョスは、フル参戦1年目のドライバーが対象となる、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得しました。

2014 ポイントスタンディング

ドライバー

順位 ドライバー エンジン 総合 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18
1 W.パワー シボレー 671 53 40 32 24 85 51 41 44 16 19 41 16 22 36 28 54 24 45
2 H.カストロネベス シボレー 609 36 19 11 36 118 34 53 24 22 13 80 25 41 21 11 19 12 34
3 S.ディクソン シボレー 604 32 19 36 15 30 20 32 30 11 12 60 34 30 26 53 32 51 81
4 J.P.モントーヤ シボレー 586 15 32 9 14 82 18 17 36 40 26 102 14 12 11 19 41 31 67
5 シモン・パジェノー Honda 565 30 30 32 51 68 8 28 32 16 51 56 19 33 8 22 26 35 20
6 ライアン・ハンターレイ Honda 563 40 14 53 41 126 14 11 11 26 28 24 51 9 16 21 9 40 29
7 T.カナーン シボレー 544 28 12 22 20 22 35 22 28 17 20 41 38 35 40 9 36 18 101
8 カルロス・ムニョス Honda 483 13 35 7 6 99 26 24 17 35 8 70 18 13 13 32 8 11 48
9 マルコ・アンドレッティ Honda 463 8 24 41 16 103 21 14 8 24 22 44 12 14 24 8 17 24 39
10 S.ブルデー シボレー 461 17 16 15 33 62 17 10 10 32 30 29 11 54 22 42 18 19 24
 
12 ジェームズ・ヒンチクリフ Honda 456 11 9 26 10 49 28 32 16 33 16 36 28 24 12 36 11 18 61
13 ジョセフ・ニューガーデン Honda 406 22 12 24 13 38 10 13 19 10 10 49 40 10 18 19 30 29 40
15 ジャスティン・ウィルソン Honda 395 24 14 29 20 36 32 18 9 21 18 32 17 20 21 15 13 22 34
16 ミハイル・アレシン Honda 372 18 28 8 5 37 14 27 26 7 41 52 9 19 7 16 24 26 8
17 ジャック・ホークスワース Honda 366 9 15 18 29 42 11 17 15 28 35 8 15 17 28 14 20 15 30
18 佐藤琢磨 Honda 350 28 8 17 22 38 12 14 12 9 11 18 8 7 30 12 15 33 56
19 グレアム・レイホール Honda 345 16 17 13 9 24 41 9 18 19 14 22 26 28 10 30 16 11 22
20 カルロス・ウエルタス Honda 314 12 20 14 17 30 24 15 14 51 7 20 10 16 15 13 10 8 18
24 オリオール・セルビア Honda 88 0 26 10 19 33 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
25 カート・ブッシュ Honda 80 0 0 0 0 80 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
28 ルカ・フィリッピ Honda 46 0 0 0 0 0 0 0 0 9 15 0 0 8 14 0 0 0 0
30 ジャック・ヴィルヌーヴ Honda 29 0 0 0 0 29 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
31 アレックス・タグリアーニ Honda 28 0 0 0 0 28 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
33 ピッパ・マン Honda 21 0 0 0 0 21 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
34 マーティン・プロウマン Honda 18 0 0 0 12 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
36 フランク・モンタニー Honda 8 0 0 0 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

ポイント配分表

決勝順位 1位 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位 9位 10位 11位 12位 13位 14位 15位 16位 17位 18位 19位 20位 21位 22位 23位 24位 25〜33位
ポイント 50 40 35 32 30 28 26 24 22 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5
ポールポジション 1周以上のリードラップ 最多リードラップ  
1 1 2

インディ500予選1日目ポイント配分表

予選順位 1番手 2番手 3番手 4番手 5番手 6番手 7番手 8番手 9番手 10番手 11番手 12番手 13番手 14番手 15番手 16番手
ポイント 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18
17番手 18番手 19番手 20番手 21番手 22番手 23番手 24番手 25番手 26番手 27番手 28番手 29番手 30番手 31番手 32番手 33番手
17 16 15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1

インディ500予選2日目ポイント配分表

予選順位 1番手 2番手 3番手 4番手 5番手 6番手 7番手 8番手 9番手
ポイント 9 8 7 6 5 4 3 2 1

特集コンテンツ

REVENGE FOR INDY500
REVENGE FOR INDY500
Honda Racing Gallery
Honda Racing Gallery

選手紹介

アンドレッティ・オートスポーツAndretti AutosportDRIVERS

インディカーで42勝を挙げ、1991年にチャンピオンを獲得したマイケル・アンドレッティがオーナーを務めるチームです。アンドレッティはオーナーになってからも勝利を重ねています。現チームの前身であるAndretti Green Racingがインディカーに参戦を始めて以来、11シーズンで48度もの優勝を飾り、シリーズチャンピオンに輝くこと4度(2004、05、07、2012年)、そして、インディ500でも2勝(2005、07年)を挙げています。

Hondaが03年にインディカーシリーズへ参戦を開始した際にはエンジン開発を担当。2014年シーズンは3年ぶりにHondaエンジンユーザーに復帰。4台をフルシーズンエントリーさせ、そのうちの1台であるライアン・ハンターレイによって、インディ500でのチーム3勝目が達成されました。また、フル参戦初年度のカルロス・ムニョスが、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得しました。

 

ライアン・ハンターレイ

ライアン・ハンターレイ#28
Ryan Hunter-Reay

1980年生まれ。アメリカ・テキサス州出身。レーシングカートとフォーミュラカーで多くの勝利とタイトル獲得を果たし、2003年にチャンプカー・ワールド・シリーズへの参戦を開始しました。

ルーキー年にしてオーストラリア、サーファーズ・パラダイスのストリートコースで初優勝。04年には歴史あるミルウォーキーの1マイルオーバルで勝利を記録しました。

インディカーシリーズには07年シーズン後半の6戦に出場。3度のトップ10フィニッシュを果たし、翌08年からフルシーズンエントリー。ワトキンス・グレン・インターナショナルのロードコースで優勝を飾りました。

09年は1シーズンに2チームから参戦する体制でしたが、2010年にAndretti Autosportのシートを獲得し、シーズン序盤のロングビーチで優勝。11年にはニュー・ハンプシャーの1マイルオーバルで優勝しました。

12年にはミルウォーキーとアイオワのショートオーバル、トロントとボルティモアのストリートコースで計4勝し、初のシリーズチャンピオンに輝きました。13年もアラバマとミルウォーキーで優勝。14年シーズンは、伝統のインディ500での優勝をはじめ、年間3勝を挙げる活躍をみせ、総合6位となりました。

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マルコ・アンドレッティ

マルコ・アンドレッティ#25
Marco Andretti

1987年生まれ。アメリカ・ペンシルベニア州出身。祖父はF1とインディカーのチャンピオンで、インディ500でも優勝しているマリオ・アンドレッティ。父のマイケル・アンドレッティもインディカーでチャンピオンになっています。レーシングドライバー一家で三代目のマルコは、母国アメリカのフォーミュラカーレースで順調にステップアップし、06年にインディカードライバーになりました。デビュー年にしてインディ500では2位フィニッシュし、ロードコースのソノマ・レースウェイで初優勝。年間ランキングでは7位につけ、インディ500とシリーズの両方でルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。

インディカーでの2勝目は2012年シーズンに、アイオワのオーバルコースで達成。13年は高い確実性を保ってシーズンを戦い抜き、年間ランキング5位に食い込みました。14年は第3戦で2位表彰台、第5戦のインディ500では3位表彰台を獲得。ポイントランキングは9位でした。

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ジェームズ・ヒンチクリフ

ジェームズ・ヒンチクリフ#27
James Hinchcliffe

1986年生まれ。カナダ・オンタリオ州出身。少年時代からレーシングカートで数々のタイトルを獲得し、03年にF2000への参戦を開始。初年度にして5勝を挙げ、シリーズ3位となりました。04年にはフォーミュラBMW USAに進んで3勝を挙げ、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞。05年にはスター・マツダ・シリーズ、06年にはフォーミュラ・アトランティックにステップアップしました。07年と08年、フォーミュラ・アトランティックで2シーズン続けて年間ランキング4位となったあと、09年にインディ・ライツへと参戦。翌10年シーズンには3勝をマークしてランキング2位となりました。

11年シーズンにインディカー・シリーズ参戦のチャンスをつかむと、デビュー年で3回のトップ5フィニッシュを達成。初戦を欠場しながらルーキー・オブ・ザ・イヤーも獲得しました。

12年にはAndretti Autosportへと移籍。2度の表彰台フィニッシュを記録し、ランキング8位となりました。そして、翌年、開幕戦セント・ピーターズバーグのストリートで念願のキャリア初優勝を飾ると、第4戦サンパウロのストリートでは最終ラップの最終コーナーでトップに立つという劇的な勝利、アイオワ・スピードウェイでオーバル初勝利と、3勝を挙げました。14年は、第15戦で3位表彰台を獲得するなどし、総合12位となりました。

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カルロス・ムニョス

カルロス・ムニョス#34
Carlos Munoz

1992年生まれ。コロンビア出身。10歳でレーシングカートに乗り始め、2007年に15歳でフォーミュラカーレースにデビューしました。08年にはヨーロッパへと渡ってフォーミュラカーシリーズに参戦。09年にはF3にステップアップしました。

12年にアメリカへと戦いの舞台を移し、Andretti Autosportからインディ・ライツに参戦。2勝を挙げ、ランキング5位となりました。13年もAndretti Autosportからインディ・ライツにフル参戦。4勝をマークして年間ランキング3位となりました。

13年にはインディ500でインディカーシリーズへのデビューも果たし、デビューレース、しかもインディ500という大舞台で予選2番手、決勝2位という驚異的パフォーマンスを発揮。14年は、Andretti Autosportからインディカー・シリーズにフル参戦を果たし、表彰台に3度登壇。フル参戦の初年度を総合8位で終えました。

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シュミット・ピーターソン・モータースポーツSchmidt Peterson MotorsportsDRIVERS

ドライバーとしてインディカーで1勝を挙げているサム・シュミットは、選手としてのキャリアを終えたあともチームオーナーとしての活動を続け、インディ・ライツ最強チームを築き上げました。

インディ・ライツを戦いながら、インディ500にスポット参戦を続けていましたが、エンジン競争の再開と新シャシー導入が同時に始まった2011年を好機と見て、インディカーへのフル参戦をスタートさせました。そして、フルシーズン参戦初年度にインディ500でのポールポジション獲得という快挙を成し遂げました。

12年にはフランス出身のシモン・パジェノーを起用。パジェノーは年間ランキングでも5位に食い込む奮闘ぶりをみせ、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得しました。

13年にはカナダのビジネスマンであるリック・ピーターソンが経営に参画。パジェノーが2勝を挙げ、年間ランキング3位となりました。14年も2台のマシンをエントリーさせ、1台目は引き続きパジェノー、2台目にはロシア出身ルーキーのミハイル・アレシンを起用。パジェノーは2勝を挙げ、ポイントランキングで5位となりました。

シモン・パジェノー

シモン・パジェノー#77
Simon Pagenaud

1984年生まれ。フランス出身。ヨーロッパのフォーミュラカー・シリーズで戦った後、2006年に渡米し、フォーミュラ・アトランティックシリーズに参戦を始めると、初年度にしてタイトルを獲得しました。翌07年には早くもチャンプカー・ワールドシリーズへとステップアップしましたが、そのシーズン限りでチャンプカーはインディカーに併合されました。08年のパジェノーはアメリカン・ル・マン・シリーズの最高峰カテゴリーに参戦し、10年にはデイビッド・ブラバムとともにシリーズ・チャンピオンの栄冠をつかみました。

11年にはDryer & Reinbold RacingとHVM Racingからインディカー・シリーズにスポット参戦するチャンスを与えられ、3戦を走ってベストリザルトは8位。12年シーズンはSchmidt Hamilton Motorsportsからフルシーズンエントリーを行うチャンスを与えられ、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。シリーズランキングでも5位に食い込んで実力の高さを見せつけました。

そして13年シーズン、キャリア初勝利をデトロイトのストリートコースで記録し、ボルティモアのストリートコースで2勝目もマーク。年間ランキング3位というすばらしい結果を残しました。14年シーズンは2度の優勝を含む3度の表彰台に上がり、ポイントランキングではHonda勢トップの5位でした。

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ミハイル・アレシン

ミハイル・アレシン#7
Mikhail Aleshin

1987年生まれ。ロシア出身。1996年からロシアのレーシングカートで活躍し、数々のタイトルを手にしました。2002年からロシアでF3選手権への出場を始め、その後も着実にステップアップ。10年にはフォーミュラ・ルノー3.5でチャンピオンに輝きました。

F1のテストも行った実績を持つアレシンは14年、ロシア人で初めてインディカー・シリーズへの参戦を開始。第10戦では2位表彰台を獲得し、デビューイヤーで総合16位という結果でした。

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ブライアン・ハータ・オートスポートBryan Herta AutosportDRIVERS

インディカーで4勝を挙げているブライアン・ハータが、インディカーのエンジニア、そしてチームマネージャーとして活躍したキャリアを持つスティーブ・ニューウェイとコンビを組み、2009年に設立したチームです。まずはインディ・ライツに参戦し、初年度から優勝するパフォーマンスを見せると、2010年シーズンには早くもチャンピオン争いに加わりました。そして、同じ年にインディカー・シリーズへの参戦も始め、インディ500では初挑戦ながら見事に予選通過を果たしました。

11年シーズンは、05年のインディ500ウイナーでシリーズチャンピオンのダン・ウェルドンを起用し、まだ創立3年目にしてインディ500での優勝を達成。最終ラップでトップに躍り出ての劇的な勝利でした。12年シーズンのインディ500からHondaエンジンを使うようになり、13年シーズンもフル参戦しました。

14年は、前年にインディライツ・シリーズでランキング4位となったジャック・ホークスワースを起用。第11戦では3位表彰台を獲得しました。

ジャック・ホークスワース

ジャック・ホークスワース#98
Jack Hawksworth

1991年生まれ。英国出身。2004年、13歳の誕生日を迎えた2週間後にレーシングカートのジュニアカテゴリーのレースに初出場。地域の大会で才能を発揮し、国内選手権へと進出。その6戦目にして、雨の中で初優勝を飾りました。15歳になるとシフト付きレーシングカートに挑戦し、英国だけでなくヨーロッパにも活動範囲を広げて、数々の好成績を残しました。

10年になるとイギリスでフォーミュラ・ルノーのウインターシリーズに参戦。F1チームのサポートを受ける強豪たちを相手に、6レースすべてでポールポジションを獲得し、ランキング3位となりました。11年には英国フォーミュラ・ルノー・チャンピオンシップにフル参戦して1勝を挙げ、年間ランキング4位につけました。

12年からの活動の舞台をアメリカに移すことを決意。スター・マツダ・シリーズで1シーズンの優勝回数、ポールポジション獲得数、ファステストラップ記録数のすべてで歴代記録を塗り替える圧倒的パフォーマンスとともにチャンピオンに輝きました。

これによってロード・トゥ・インディの奨学金60万ドルを手にすると、13年にはインディライツ・シリーズにフル出場。デビュー戦のセント・ピーターズバーグで初優勝を飾り、その後にもトロントとボルティモアでポールポジションからファステストラップを記録して優勝。ルーキーイヤーにしてストリートコースで3勝を挙げ、シリーズランキング4位となりました。

13年シーズンが終了すると、インディカーのテストを行うチャンスを3チームから与えられ、その最後のテストを行ったBryan Herta Autosportから14年のシリーズに参戦することに。デビューイヤーとなった14年は、第10戦で3位表彰台を獲得し、総合17位となりました。

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A.J. フォイト・レーシングA.J. Foyt RacingDRIVERS

インディ500で史上最多となる4度の勝利を初めて記録したA.J.フォイトがオーナーのチームです。彼は歴代最多の67勝をインディカーで挙げているだけでなく、スポーツカーのル・マン24時間耐久レース、アメリカンストックカーのデイトナ500でも優勝しています。

フォイトは1994年をもって現役から引退しましたが、A.J. Foyt Racingは、96年にはスコット・シャープを、98年にはケニー・ブラックを、それぞれインディカー・シリーズチャンピオンの栄冠に導いています。ブラックは99年にインディ500での優勝も飾っており、フォイトはチームオーナーとしてもインディ500制覇を達成しました。

近年では2代目のラリー・フォイトがチームの指揮を執り、13年シーズンには佐藤琢磨とともに、2002年以来となる優勝を第3戦ロングビーチで飾りました。ほとんどのチームがインディアナ州インディアナポリスにワークショップを構える中、A.J. Foyt Racingは今もテキサス州ヒューストン郊外を本拠地としています。

14年も引き続き、佐藤琢磨を起用してシーズンを戦いました。

佐藤琢磨

佐藤琢磨#14
Takuma Sato

1977年生まれ。東京都出身。少年時代に鈴鹿サーキットでF1グランプリを観戦し、F1ドライバーになろうと強い決意を抱き、大学に進学してから鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)を受講。全日本F3選手権で戦ったあとにヨーロッパへ渡り、英国F3選手権に出場。2年目の2001年にシリーズチャンピオンとなり、翌02年にJordan HondaからF1世界選手権にデビューするチャンスをつかみました。その後にはテストドライバーとしての1年を挟み、B・A・R Honda、SUPER AGURI F1 TEAMで08年の途中までF1グランプリを戦い続けました。F1でのベストリザルトは日本人ドライバーとして歴代最上位タイの3位で、04年のアメリカGPで表彰台に上りました。

2010年にインディカー・シリーズへの参戦を始めると、11年にはオーバルコースのアイオワ・スピードウェイで日本人初となるポールポジションを獲得。エドモントン・シティセンター・エアポートの特設ロードコースで2度目のポールポジションを手にしました。12年シーズンには、ブラジル・サンパウロのストリートコースで初表彰台となる3位フィニッシュを果たすと、エドモントンではキャリアベストとなる2位フィニッシュを達成。そして13年、念願のインディカー初勝利をビッグレースの第3戦ロングビーチで飾りました。14年シーズンも、引き続きA.J. Foyt Racingから出場。ポールポジションを2度獲得するなど速さをみせ、総合18位でシーズンを終えました。

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レイホール・レータマン・ラニガン・レーシングRahal Letterman Lanigan RacingDRIVERS

1986年、87年、92年とインディカーで3度シリーズ・チャンピオンに輝き、86年にはインディ500での優勝も飾っているボビー・レイホールが設立したチームです。

Hondaが1994年にインディカーへの挑戦を始めた際、エンジンの先行開発から協力したのが現在のチームの前身であるRahal Hogan Racingでした。その年のトロントでは、レイホールがHondaにとって初めての表彰台となる2位フィニッシュを達成。また、Hondaのインディ500初優勝もRahal Letterman Racingが2004年にバディ・ライスとともに記録しています。 レイホールの共同オーナーたちは、アメリカのテレビ三大ネットワークの一つで人気番組のホストを長年務めているデイビッド・レターマンと、建設機材メーカーなどを経営するマイク・ラニガンです。2人もインディカー・レースに熱い情熱を持っており、チームは着々と体制強化を進めています。

2014年は在籍2年目のグレアム・レイホールが、第6戦で2位表彰台を獲得。また、第2戦ロングビーチから第5戦インディ500までの4レースについては、オリオール・セルビアを参戦させ、レイホールとの2台体制で戦いました。

グレアム・レイホール

グレアム・レイホール#15
Graham Rahal

1989年生まれ。アメリカ・オハイオ州出身。父親はインディカーで3度シリーズ・チャンピオンとなり、インディ500でも1勝しているボビー・レイホール。

2007年、18歳という若さでインディカーにデビューしたグレアムは、08年の開幕戦セント・ピーターズバーグでキャリア初優勝を19歳と93日で飾りました。これはインディカーの史上最年少勝利記録です。翌09年、グレアムは同じくセント・ピーターズバーグにおいて、20歳と90日でポールポジションを獲得しましたが、これもインディカー最年少ポールポジション獲得という記録です。2013年からは、父ボビーがオーナーを務めるチームに移籍し、総合18位。翌14年は、第6戦で2位表彰台を獲得し、総合19位となりました。

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オリオール・セルビア

オリオール・セルビア
Oriol Servia

1974年生まれ。スペイン出身。スペイン国内で2度ラリーのチャンピオンとなった父、そのコ・ドライバーを務めた母との間に生まれたオリオールは、2歳にして初めてのオフロード用バイクを与えられ、幼少期にレーシングカートの世界に入りました。

フォーミュラカーのレースをフランスF3、英国F3で戦ったあと、1998年にインディライツに挑戦すべく渡米したオリオールは、ルーキーイヤーに6度のトップ10フィニッシュを記録して、シーズンランキング7位となりました。翌99年もインディライツに出場。勝利を飾ることはできませんでしたが、シリーズ最多となる3度のポールポジション獲得でスピードをアピールし、持ち前の安定感によって5度の2位フィニッシュを実現し、インディライツ・チャンピオンの座に輝きました。

2000年にはチャンプカーへとステップアップ。初年度にして初の表彰台となる3位フィニッシュをデトロイトで記録しました。チャンプカーでは03年にランキング7位、04年にランキング10位、07年に6位と3度のトップ10入りを果たしています。

インディカーには08年と2011年にフル参戦し、11年には2位フィニッシュ2回、3位1回で表彰台に3度上り、それらを含む5度のトップ5フィニッシュによって年間ランキング4位というすばらしい成績を残しました。悲願のインディカー初勝利はまだ達成されていませんが、その実力の高さはだれもが認めるところ。ミスのないドライビング、マシンを壊さずにゴールまで運んで好成績をコンスタントに記録する力、技術面への深い理解をベースとしたマシン開発能力を高く評価されているベテランは、14年シーズンはRahal Letterman Lanigan Racingで2台目のマシンをドライブするチャンスを与えられ、第2戦ロングビーチ、第3戦アラバマ、第4戦インディアナポリス、そして第5戦インディ500の4レースに出場しました。

サラ・フィッシャー・ハートマン・レーシングSarah Fisher Hartman RacingDRIVERS

ダートオーバルの世界で腕を磨き、インディカーにまで駆け上がった女性ドライバーのサラ・フィッシャーは、女性としてインディカーで初めてのポールポジション獲得を達成しました。

2008年、フィッシャーは人生の伴侶であるアンディ・オガーラとチームをスタートさせ、2012年からはウィリス・ハートマンがチーム経営のパートナーに加わりました。もともとはフィッシャーを走らせるために興されたチームでしたが、彼女は2010年で引退し、チームオーナーとして活躍しています。

11年シーズン、エド・カーペンターを起用した彼らは、ケンタッキー・スピードウェイで初優勝を飾りました。創立4年目の快挙でした。 12年シーズンからは11年のインディライツ・チャンピオンでアメリカ出身の若手であるジョセフ・ニューガーデンを起用。13年シーズンにニューガーデンは、ボルティモアのストリートコースでキャリアベストとなる2位フィニッシュを達成し、初めての表彰台に上がると、14年シーズンにも、第12戦で2位となりました。

ジョセフ・ニューガーデン

ジョセフ・ニューガーデン#67
Josef Newgarden

1990年生まれ。アメリカ・テネシー州出身。中学時代にアメリカのレーシングカートで活躍し、2009年にイギリスへと渡ると、翌10年からフォーミュラカーへとステップアップし、ヨーロッパを転戦するGP3シリーズに参戦しました。2011年に母国アメリカへ戻ると、インディカーの登竜門であるインディ・ライツに出場。デビュー戦のセント・ピーターズバーグで優勝すると、年間5勝、2位4回、ポールポジション3回という圧倒的な強さをみせてシリーズチャンピオンとなりました。

12年にインディカーへと進むと、2シーズン目の13年にブラジル・サンパウロのストリートコースで優勝争いに加わって5位。ポコノの三角形高速オーバルで再び5位フィニッシュを飾ったあと、ボルティモアのストリートコースで2位フィニッシュ。ついに表彰台に手を届かせました。14年シーズンも、第12戦で2位表彰台を獲得し、ポイントランキングでは13位と躍進しました。

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デルコイン・レーシングDale Coyne RacingDRIVERS

1991年までドライバーとしてインディカー・シリーズで戦っていたデイル・コインは、現役引退後もチームオーナーとして参戦。チーム設立から24年目の2009年にチームオーナーとしての優勝をワトキンス・グレン・インターナショナルで達成しました。それから3年後の12年シーズンには、テキサス・モーター・スピードウェイでし烈なバトルを制してチームとしての2勝目をマーク。インディカーのチームとしては珍しくシカゴ郊外にワークショップを構えるDale Coyne Racingは、小規模ながら情熱を持ってインディカー参戦を続けています。彼らは多くの若手ドライバーにチャンスを与えているチームでもあります。

14年はジャスティン・ウィルソンとカルロス・ウエルタスを起用し、ウエルタスはルーキーながら第9戦で優勝を果たしました。

ジャスティン・ウィルソン

ジャスティン・ウィルソン#19
Justin Wilson

1978年生まれ。イギリス出身。インディカーで通算7勝。母国イギリスのフォーミュラカーシリーズで着々とステップアップし、2001年に出場した国際F3000でシリーズチャンピオンの栄冠をつかみました。

03年にはF1世界選手権への参戦をスタート。16レースを戦いました。

アメリカに渡ってインディカーに挑戦を始めたのは04年でした。翌05年には早くも2勝を挙げ、06年、07年、08年、09年にさらに1勝ずつをマークしました。最初の6勝はロードコースで挙げたものでしたが、12年にはテキサスの1.5マイル・オーバルで激しい戦いの末に、念願のオーバル初優勝を勝ち取りました。

14年シーズンもDale Coyne Racingから参戦し、総合15位となりました。

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カルロス・ウエルタス

カルロス・ウエルタス
Carlos Huertas

1991年生まれ。コロンビア出身。中南米のレーシングカートで活躍したあと、フォーミュラカーへとステップアップし、ブラジルを中心に南米で活動をしていたウエルタスは、2007年に一念発起してヨーロッパに渡り、フォーミュラカーレースの頂点を目指しました。

まずはイギリスでフォーミュラBMWに参戦し、年間ランキング13位。翌2008年には前年と同じチームからフォーミュラBMWヨーロッパ・シリーズへと出場し、ランキング9位という成績を残しました。

続く2009年には激戦の英国F3へとチャレンジを開始。F3での3シーズン目となる2011年、1勝を挙げてシリーズランキング3位という好成績を残しました。

2012年にはフォーミュラ・ルノー3.5にステップアップし、ランキング16位。2013年も同シリーズに参戦し、シリーズ初勝利を挙げて、ランキングも14位に上昇させました。

2014年シーズンに向けては、ヨーロッパだけでなく米国での活動にも興味を示し、オフの間にインディカーのテストをパンサー・レーシングで受けました。その結果はよく、もう一度テストのチャンスを与えられたウエルタス。しかし、パンサーがシリーズへの継続参戦を取り止めたため、ウエルタスはほかのチャンスを探し、シリーズの開幕戦直前にDale Coyne Racingと契約を結びました。

インディカーでの初年度は、フルシーズンをただ戦っただけでなく、第9戦では優勝を果たし、総合20位となりました。

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