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 アメリカのスポーツ界で、「インディアナポリス500」(以下、インディ500)というのは魔法の言葉である。1ヶ月におよぶインディ500のレース期間は、ひとつの大きなイベントであり、そのお祭り的なイベント全体の人気はインディ500というレースそのものよりもはるかに高い。インディ500というレースは、普段自動車の競争などにまったく興味のない人々をも魅了するのだ。
 長年にわたって“The 500”(我々アメリカ人はインディ500をこう呼ぶ)は、「モーター・レーシングにおけるザ・グレーテスト・スペクタクル(最も偉大なショー)」と評されており、それは衆人が認めるもの。2.5マイル(4km強)のオーバル・コースを200周して争われる迫力あるレースをメイン・アトラクションとして、人気の高さゆえに、年月を経る過程で多面的なアトラクションが増えていき規模が大きくなっていった。

 インディ500が開催されるインディアナポリス・モーター・スピードウェイの所在地であるインディアナ州インディアナポリス市は、5月をこのイベントのために捧げる。レース準備のために必要なあらゆる環境を整え、5月第1週に続々と集まってくる“The 500”出場チームを出迎える。
 その翌週と翌々週の週末に“ブリックヤード(Brickyard:インディアナポリス・モーター・スピードウェイのこと)”で予選があり、決勝は毎年5月最終週の土・日曜日、全米的な祝日でもあり夏の始まりを告げるメモリアル・ウィークエンドに行われる。
 インディアナポリス・モーター・スピードウェイが“ブリックヤード”と呼ばれるのは、レース・トラックができた当初、コースの表面が数千にもおよぶ“brick(レンガ)”でできていたことに由来する。もちろんレンガでできたコースは何十年も前に舗装されたが、よく目を凝らして見れば、スタート/フィニッシュ・ラインに、その名残として1ヤード幅のレンガのラインが敷かれているのに気付くであろう。
 その1ヤード幅のレンガのライン上に立ってコースを見渡せば、“ブリックヤード”、インディアナポリス・モーター・スピードウェイのそのサイズとスケールの大きさに圧倒される。25万もの観客席を有するこのレース・トラックこそ、世界最大の観客席付き施設である。興味のある方は、一度そのウェブサイトを訪ねて、ビジュアル・ツアーをすることをお勧めする。


 第1次世界大戦時の1917年と1918年、および第2次世界大戦時の1942年から1945年までの合計6年間を除いて、インディ500は1911年から続く長い歴史を持つレース・イベントである。
 ここ数年を例にとると、賞金総額1千万ドル(約12億円)、優勝チームは150万ドル(約1億8千万円)以上もの賞金がもらえるという、とてつもなくリッチなレースである。ちなみに1911年の第1回インディ500を愛車マーモン・ワスプ(Marmon Wasp)で制したレイ・ハロウン(Ray Harroun)の手にした賞金はたったの14,250ドルであった。
 その優勝車マーモン・ワスプは、サーキットに隣接する立派なホール・オブ・フェーム・ミュージアム(殿堂)に、1921年のフランスGPと1922年のインディ500を勝ったジミー・マーフィー・デューセンバーグといった他のインディ500優勝車30数台とともに飾られている。
 またミュージアムには、インディカーだけでなく、1965年のル・マン24時間レースの優勝車フェラーリ250LMや、この世にたった1台しか存在しない1957年コルベットSSワークスカーなど、レース・ファンにとってはたまらない数々の展示物が出迎えてくれる。
 しかしミュージアム訪問もレースがはじまるまでの楽しみのひとつに過ぎず、他にも多種多様なアトラクションが数え切れないくらい揃っている。インディ500に行くということは、世界でも有数のカーニバルに行くようなもので、レース・トラックの内外であらゆる食べ物を味わえるし、あらゆるクルマに関するグッズを見つけることができる。

 
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