HondaモータースポーツF1ジェンソン・バトン ダイアリー
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 10月
 ここ数戦、ホンダ・レーシング・F1・チームは「トップ2以外の中でトップ」という地位を確立した。つまり、フェラーリとルノーに続く強さをコンスタントに見せつけてきたというわけだ。悪くないポジションだと思う。鈴鹿でもそうだった。あそこは世界で最も厳しいとされるサーキットのうちの1つ。そんな鈴鹿でRA106の力を最大限に発揮することができた。僕はルノーのジャンカルロ・フィジケラと約10秒差の4位。チームとしてはこれで6戦連続ポイント獲得だ。信頼性と安定性が高くなった証だと思う。
 日本では、初めて新しいシリーズ4のエンジンでレースに臨んだ。少しパワーが上がっていたし、これはV8エンジンでは不可欠な要素だが、ドライバビリティがぐんと良くなっていた。
 前回このコラムを書いてからのひと月はものすごく忙しかった。モンツァで5位に入った夜にはもう、S2000でモナコを目指して走っていた。次のレースまで3週あったから、チームは僕とルーベンス(・バリチェロ)が別々にテストしてもいいと言ってくれた。ヘレスでの最初の週はルーベンス、2週目は僕だ。
 おかげで最初の週はモナコでトレーニングする時間が持てた。いろいろなトレーニングプログラムをこなしたよ。最後の3戦はスケジュールがタイトで、あまりトレーニングの時間がない。その前にどれだけ準備しておけるかが重要だった。週末はロンドン。そこからヘレスに入り今シーズン内最後のテストだ。鈴鹿でデビューするシリーズ4エンジンのパフォーマンスを見て、修正された空力パーツをいくつか試した。全体的に言って大成功の2日間だった。
 そして、中国GPの前に東京に飛んだ。お台場でPRイベントがあったんだ。Hondaはレースのデモンストレーションをすることになっていて、僕はクルマを2台走らせた。まずは今年のRA106。その後ジョン・サーティースが1968年の世界選手権を戦ったRA301に乗り換えた。違う時代のマシンに乗るというのは素晴らしい体験だよ。その時驚いたことが2つ。ひとつは、かってのマシンのコックピットがものすごく小さくて狭いってこと。それからマシンがひどく遅く感じた。この40年、F1マシンがものすごい勢いで進歩したってことが分かって面白かった。
 翌日には上海に入って中国GPに備えた。その前上海に行ったのは、ハンガリーで初優勝を遂げた直後だったから、またあそこに戻ることができて嬉しかった。その週の最初2日間はトレーニングや観光をして過ごした。それから、レース前の水曜日にはイギリスの記者たちと夕食。レコーダーが回っていないところでジャーナリストの人たちと話が出来て、彼らのことが少し分かった気がした。リラックスして楽しめたよ。中国はチームのスポンサーにとって重要なマーケット。だからこのGPはPRが目白押しだった。GP前の木曜日には一晩で2つの催しに出席したんだ。その後も週末中ずっとパドック・クラブで忙しかった。
 上海での走りには満足している。RA106はウェットでもドライでも強かったし、予選3位(ルーベンス)と4位というのはチームにとって満足のいく成績だった。ただ予選でちょっとしたアクシデントがあったのが残念だったね。キミ・ライコネンのミラーが外れて僕のマシンのノーズとヘルメットに当たったんだ。ノーズを交換しなければならなかったから、最終予選での大事な時間をロスしてしまった。
 レースはウェットでスタート。最初、リアのスタンダードウェットタイヤがオーバーヒートしてヒヤッとしたけれど、トラックがドライタイヤに最適の状態になったら、マシンのハンドリングも素晴らしくなった。それからはガンガン攻めて4位。最後の3周は最高だったな。3台も抜いたんだから!
 レース後の月曜日、東京へ。翌日には毎年恒例のHondaの日本GP直前記者会見。その午後はHondaの福井威夫社長と会った。ハンガリーで優勝した時以来だ。水曜日に鈴鹿へ向かったんだけれど、その前にヘリコプターで栃木に行き、Hondaの栃木研究所に寄ってそこで働くF1プログラムのスタッフに会った。
それから鈴鹿入り。日本GPに向けて集中していった。Hondaの地元レースだったからPRの仕事がたくさんあった。最初は木曜日。和田康裕HRD社長とルーベンスと僕とでHondaの鈴鹿製作所を訪ねて、3つの食堂で合計4000人もの人と会った。
 今回もいい走りが出来たと思う。金曜日のプラクティスが雨で流れたせいで、予選や決勝に向けてセットアップを完成させる時間が土曜日のプラクティス1時間だけになってしまった。僕はグリッド7番手。そこからさっきも言ったように4位まで追い上げた。あとはブラジルGPに向けて集中するだけだ。シーズンをいい気分で締めくくりたいね。
 最後に鈴鹿サーキットについて触れておきたい。来年、ここに戻ってこられないのは本当に残念だ。鈴鹿は世界最高峰のサーキットのうちの1つ。周回のスタートなんか、文字通りコックピットの中で息を呑んでしまうほどだ。出来るだけ早く、鈴鹿に戻ってこられるよう願っている。鈴鹿のようなサーキットは世界中ほかにないのだから。
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