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ザンドフルトのオランダGPが終わった。
ホンダF1チームは、全員帰国し、大幅な改良を施した車で、モンツァのイタリヤGPから、もう一度出直すことになった。
F1は勿論のこと、スペヤ・エンジン、スペヤ・パーツ、工具類から作業衣、汚れた軍手にいたるまで、日本から持って来た物をすべて箱詰めにし、内容物のリストを張り付けて送り返した。関税法に違反しないためだ。
ガレージがきれいに片付いたところで、この二カ月半、殆ど休みを取れなかったささやかな穴埋めに、私と森さん以外のチームメンバーは、パリで休暇を取って帰国した。
残った仕事は、お金の精算や支払い、関係各方面に対する連絡とお礼まわりだった。
アメリカンエキスプレスに依頼した航空貨物の運賃や手数料を精算し、ヴァロン社にはトラックと運転手の費用等を送金した。
ガレージとホテル・ボルグマンの奥様には、早朝から深夜まで大変お世話になったお礼の印として、料金の他に、真珠のネックレスをあげた。
これも経験豊富な二輪チームの入れ知恵で、税関などでのトラブル防止用に準備してあった物だが、トラブルにも会わず、お礼の贈物にできたのは嬉しいことだった。
当時、真珠はアメリカやヨーロッパで大変珍重され、輸出する物が少なかったその頃の日本の、外貨獲得の花形だった。
高価なネックネスに、辺り構わず大袈裟に喜ぶ奥様方に、お礼の頬擦りをされてしまった。
これで、すべての仕事が終わった。
「ヨーロッパに2か月半もいて、パリには一度も立ち寄れなかったけど、これから何時でも行くチャンスはあるから、コペンハーゲンを見て帰ろう」
と言う森さんの意見に賛同した。(しかし、それから25年、パリはおろかヨーロッパに足を踏み入れることは無かった)
7月26日火曜日、長い間、大変お世話になって、我が家みたいに馴染んできたホテル・ボルグマンのプローイ夫妻に見送られて、午後の便でデンマークへ向かった。
コペンハーゲンの街を当てもなく歩いているうちに、どこかで聞いたことのある「ティヴォリ公園」に突き当たった。
初めて見る、さわやかな北欧の夏の公園は、夕暮れの中で一際明るくにぎわっていた。子供達が木馬を揺すって大はしゃぎしている。手を引かれながら棒つきのアメをしゃぶっている幼児に、メリーゴーラウンドの上から大の大人が無邪気に手を振っている。そんな光景に見とれて歩いていると、パントマイムのピエロにぶつかりそうになった。
動物園ぐらいしか子供を連れて行く所のなかった、その頃の日本に比べて、心にゆとりのあるヨーロッパの人達が、趣向を凝らして自分たちの手で楽しみを作り出している様子が伺えて感激した。
夕食の後、街をぶらついていて、夢のように美しいショー・ウィンドに引き寄せられた。その下に「Den Permanente」と書いてあった。
これだ。デザインをやっていた従兄弟がよく話をしていた、デン・パーマネントだ。
翌朝早速、見学にいった。
家具や照明器具、食器や日用品やオモチャに至まで、どれを見ても、奇をてらったのではない、モダーンで暖かみのある美しいデザインの品じなが溢れている。北欧の人達の生活を慈しむ心が染み込んでいるように見える。工芸品の展示場かと思ったが、販売もしているという。
今回のヨーロッパ出張中に生まれた、まだ見ぬ我が子のオミヤゲに、チーク材の小さなアヒルを買った。このアヒルの子はその後三人の子供達に愛され、今は孫達に引き継がれている。
いよいよヨーロッパを離れる時がきた。
空港でチェックインを済ませ、何かオミヤゲを買って帰ろうと、免税店を見て歩いた。リカーストアの前まできて、ふと思い付いて店員に聞いてみた。
「どの国のコインでも使えますか?」
「OKですよ」
シメタ。これまでの二カ月半、オランダ、ベルギー、フランス、モナコ、イギリスと、チームの会計係をしながら旅行してきた私のバッグの底には、両替しそこなったコインが、1リットルぐらい溜まっていて、重くてしようがなかったからだ。
特にイギリスのハーフクラウンやギニーやペニーは、使うのがめんどうなので、殆どが残っていた。これらを全部カウンターの上にぶちまけた。オミアゲに珍しいコインを少し拾い上げたあと、国別に整理して勘定して貰ったら、何と、マルテルのXO(エキストラ・オールド)が二本も買えることになった。
ブランデーの味を教えてくれた横浜の義父と、父に買って帰りたいと思ったのだ。
父は鹿児島で、純粋培養した種麹を焼酎メーカーに売る、日本に二軒しかない種麹屋をやっていた。
焼酎の杜氏(とうじ:焼酎造り職人の頭)達が、自分で造った焼酎を持って来ると、父は試飲してみて、
「麹にする米を蒸す蒸気の温度が低くて、麹の水分が多すぎたのではないか?」
とか、
「諸味の温度が高すぎたので、酸味が強いのではないか?」
などと指摘して、杜氏たちを指導していた。
私も、種麹屋の基本技術である、黒麹を純粋培養する方法などは、覚えておいて損することはないと、中学の時に父に実地に教わった。
しかし、父が一升飲んでも平気な酒豪なのに、私は祖父に似たのか少し飲むとすぐ赤くなる下戸で、「とても杜氏の指導などはできない」と思っていた。また、その頃は焼酎の将来に明るさを見出だせず、父の後を継ぐことはしなかった。
そういう事の、罪滅ぼしの意もあったが、知識としては世界中の酒を知っている父に、焼酎と同じ蒸留酒であるコニャックの最上級クラスのものを飲んでみて欲しかったのだ。
東京に帰り着くと直ぐ、マルテルのXOを鹿児島の父宛てに送った。
暫くして、父から一通のハガキが届いた。それに、
「マルテルのビンが壊れていて、コニャックは一滴も残っていなかったが、長い歳月を経て醸し出された香りは、さすがに世界一だ」、
と、書いてあって、一カ月以上もその香りを楽しんだそうだ。
酸味が強くボディの弱いコニャック地方のワインは銘酒ではない。しかし、蒸留されて樫の樽に長年寝かされている間に、樽材から溶け出した成分も加わって、香味がまろやかな琥珀色のコニャックの原酒に生まれ変わる。ブドウ畑や貯蔵年数で異なる味や香りの原酒を絶妙にブレンドすると、オ・ド・ヴィ(生命の水)と呼ばれるコニャックになるという。
人間の記憶も三十年経つと、芳醇な香りの思い出になるのだろうか。
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