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丸野エンジニアの手記
英語の本場イギリスへ

 クレルモン・フェラン・レースの朝、ホンダのピットに、フランコルシャンでも顔を見せていたロンドンの高校生三人組が、また姿を現わした。
 なんとか話のきっかけを作って友達になりたいらしいが、忙しい振りをして出来るだけつかまらないようにしていた。
 彼等のしゃべる英語が大変なベランメーで、何回聞き直しても何を言ってるのか、さっぱり分からないから、敬遠していたのだ。
 ヨーロッパ大陸の人達の外国語として習った英語の方が、学校で英語を勉強した我々には、よっぽど分り易い。

 何年か前に和光研究所で、
「外人が来て何かしゃべっているが、ぜんぜん分かんないから、ちょっと来てくれ」
と、守衛所から電話があった。
 オーストラリアのメルボルンから来たという、朗らかな観光客が二人いた。何回か聞き返しているうちに、「ホンダの工場を見に来た」といっているらしいことが、やっと分かった。
「ここは研究所で、お見せできませんが、和光工場へはこの道を行ってください」
と、地図を渡して、お引き取り願ったことがあった。
 この人たちの英語も、これは本当に英語なんだろうかと思ったほど変わった英語だった。
 そういえば、「マイ イングリッシュ イズ パルフェクト」と言っていた学生時代のインド人の友達の英語も凄かった。
 後年ロサンジェルスに駐在し、アメリカ中を渡り歩いて、ルイジアナの田舎の、ねっとりした英語や、カリフォルニアのアフリカ系アメリカ人の英語など、いろんな種類の英語を聞いた後だったら、そんなに驚くことはなかったのだろう。
 しかしこの頃、イギリスではきれいなクイーンズ・イングリッシュ1種類だけが使われていると思い込んでいたのだ。そのイギリスの、こともあろうに首都のロンドンの高校生の英語が、こんなに分からないなんて、世間知らずの私には大変なショックだった。

 そのイギリスに向かって、フェリーで北海を渡ろうと、ロッテルダムの港にやって来た。
 今まで使っていた左ハンドルのレンタカーを返し、F1を積んだトラックをフェリーに乗り入れてデッキに上がった。
 何か変だと思って見下ろすと、我々のフェリーはロックの中に浮いていたのだ。
 ロッテルダムの港は干満の差が大きいのだろう。岸壁に対する船の高さを一定に保つために、船着場はロックの中にある。
 オランダでは、国中に張り巡らされた沢山の水位の違う運河や川を、ロックで水位を合わせて船を走らせている。これからイギリスへ出港しようとする船が、ロックの中に浮いていても、誰も異様に思わないらしい。
 しばらくすると、ロックにじゃぶじゃぶと水が注ぎ込まれ、周りの水面と同じ高さになったところでゲートが開いた。フェリーはやっと自由の身になって“新マース川”に浮かんだ。
 しかし、この川は本当はライン川の下流なはずだ。第二次大戦中、国土の1/4が海面下のオランダにとって、命より大事な堤防をドイツ軍に壊された。そのドイツを延々と流れ下って来たラインの名を嫌い、ベルギーから来たマース川と運河でつないで、“新マース川”と呼んでいるようだ。

 それから1時間近く、延々と新マース川を下り、ユーロポートの石油コンビナートを過ぎて、ようやく北海に出た。
 高緯度の夏の夕日は沈みそうでなかなか沈まない。赤から赤紫に、赤紫から青紫に次第に移り変わってゆく空の下で、初めて見る北海は深い青色だ。
 私が週末の気分転換に、エンジンの音のしないヨットでレースをやっている湘南の海とも、コート・ダ・ジュールの明るい海ともまったく異なる海だ。何か変わったことが起きるのではないかと、しばらく船室の丸窓から水平線を眺めていたが、連日の疲れでいつの間にか眠ってしまった。

 学生時代に乗った青函連絡船以来の慣れない船旅。浅い眠りを少しは寝たかなと時計を見ると、午前4時。なのにキャビンの窓の外は、もう白っぽく明るい。
 眠むたい目をこすってよく見ると、どうやら船はテームズ川に入って来たらしい。大分スピードを落としているし、波も静かだ。
 朝日に輝く一面の白い霧を透かして、港のクレーンや倉庫が、薄く微かに見えてきた。白いキャンバスに木炭で描き始めたデッサンの様だ。
 「さあ、イギリスに着いた」と思った瞬間、目が覚めたが、何となく起き上がりたくない気分だった。

 フェリーを降りてトラックの積み荷ををチェックし、右ハンドルのレンタカーを借り直した。ヨーロッパに来てやっと慣れた右側通行から、左側通行に頭を切り替え、テームズ川沿いにロンドンへ向かって、霧雨の中を走り出した。
 生まれつき右側通行のフランス人運転手達は、初めての左側通行に戸惑っているのか、調子が出ないようだ。
 ロンドンの街を突っ切る時に、英語を話せないフランス人が迷子になってはまずい。左側通行に慣れた日本人が、前後をレンタカーでピッタリはさんで走ることにした。

 混み始めたロンドンの街を、どうにかすり抜けて郊外に出ると、ロータリー(イギリスではラウンドアバウトというらしい)に突き当たった。信号がないから電気代が節約できて、いかにもイギリスらしく経済的だ。車が来ない時に信号を待つ必要もない。
 しかし、一旦停車して、ぐるっと半周回らないと直進はできない。また、ロータリーの中を車がびゅんびゅん走っていると、いつ入って行けばよいのか、慣れないとタイミングがとりにくい。
 躊躇していると後に長い行列ができるから、エイヤッと飛び込むと、出るのがどの道だったか分からなくなって、ぐるぐるまわったりする。何回まわってもよいのだそうだ。

 後年、パリのエトワール広場を車で横切りながら、渋滞している間に、横に並んだ車を数えてみた。なんと11列になって凱旋門をまわっていた。しかも、12本の道路を結んでいる世界最大のラウンドアバウトだ。
 ここを、掠り傷一つ負わずにスイスイ列を変えてくぐり抜けるには、信号が赤でも車が来なけりゃ、さっさと渡ってしまう、あの融通の利くパリジャンのエスプリがなければダメなんだと思ったものだ。
 我々が最初に出会ったイギリスのラウンドアバウトはせいぜい2,3列だったのは幸いだった。

 ラウンドアバウトもなんとか切り抜けて走っていると、イギリスの道路が、昨日まで走っていたヨーロッパ大陸の道路とは、何か違っているような気がしてきた。
 フランスでは、どんな田舎道のカーブにも必ずバンク(内側が低い傾斜)がついていた。それとは対称的にイギリスでは、バンクが付いていないカーブの平坦な路面を、横滑りしないように、わざと、ざらざらに舗装してある。
 イギリスのスポーツカーのサスペンションが、ガチガチに堅いのは、この滑らない平坦なカーブを高速で走り抜けても、車を傾かせないためかもしれない。
 スポーツカーのサスペンション・スプリングがあんなに硬いのだから、もっと速いイギリスのF1のスプリングは、石みたいに硬いんじゃないか。
 ある時レース場で、ロータスのF1の車体をこっそり揺すってみた。
 意外や意外。大変柔らかい。
 ははーあ、サスペンション・スプリングは柔らかくし、アンチ・ロールバーを堅くして車が傾かないようにしているのか。そうすれば、二階建バスでも転ばないでロンドンの街を走りまわれるんだ。などと素人なりに納得したことがあった。

 イングランドの田舎を物珍しく眺めながら走っているうちに、シルバーストンのレース場に近いということでホテルを予約してあったBicesterという町に入ってきた。車を止めて、おバアちゃんに道を聞いた。
 「バイセスターのキングス・アームズというホテルは、どの道を行けばよいのですか」
 おバアちゃんが、けげんそうな顔をしているので、こちらの発音が悪いのかと、また少し自信をなくして手帳の住所を見せた。
「ああ、ビスターのキングス・アームズはそこよ」
 指差す方を見ると、もう目と鼻のさきに、旅館といったほうが良いような木造二階建の随分古びたホテルが、うっそうと茂った木々の間に見える。
 「でも、バイセスターのキングス・アームズ…」
と、いいかけると、
 「バイセスターじゃないの、ビスターと読むの」
 「はあー、そうなんですか……」
 Manchesterはマンチェスター、Lancasterはランカスターと、「che」も「ca」もちゃんと読むのに、Bicesterは真ん中の「ce」をすっとばしてビスターと読むのか。
 フランス語は、間抜けなドイツのスパイぐらいしか間違わない、と言われたほんの少しの例外を除いて、ほとんどの言葉を規則通りに発音するのに、英語は不規則な読み方が多すぎる。

 いや、だけど、日本では御徒町や先斗町を、オカチマチ、ポントチョ−と読むのだと、外国人に教えれば、
「ドウシテデスカ? ソンナノナイヨ!」
と反発されるだろう。
 それだけではない、団扇(ウチワ)や、剃刀など、とても外国人には読めないだろう。「剃刀」を眺めまわして、書いてもない字を「カミ」と読み、それから最初の字を「ソリ」と発音し、「刀」は黙って飲み込んで意味を納得する。鋭くキレル日本人でなければ出来ない技だ。
 まあ、お相子というところか。いや、下手をすると日本語はメチャクチャだとイギリス人に言われるかもしれない。

 「今夜はキングス・アームズ(王様の両腕。クイーンじゃなくて残念だが)に抱かれておとなしく寝るか」と、部屋割り担当の私はホテルのフロントでチームメンバー全員分のチェックインをした。それから、
「後で河島取締役と中村所付が来るからよろしく」
と、頼んだところ、(前もって予約を増やしておけばよかったのだが)
「もう満室だから隣のキングス・ヘッドに泊まってくれ」
ときた。

 キングス・ヘッド(王様の頭)って、どんなに大きく立派なホテルかと思って外に出てみた。
 何だ、王様の片腕分ぐらいしかないチッポケナ旅館。
 この辺の人達は、王様を尊敬しているのか、からかっているのか、さっぱり分からない。
 シェークスピアが生まれ育ったストラトフォード・アポン・エイボンから50kmしか離れていない、このビスターの人達は、ずいぶん芝居気が強いようだ。
 しかし「キングス・ヘッド」という名前は社長向きでも、これでは貧弱すぎてホンダの役員に泊まってもらう訳にはいかない。
 仕方がない。若いメカニック三人に我慢して「王様の頭」に枕を並べて寝てもらうことにした。