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レースのスタート早々、リタイヤしてしまった車のチームメンバーは、いろいろと考え悩むものだ。どこがどういうふうに壊れたのか。その原因は何か。対策品が次のレースまでに間に合うか。どんな手順で修復したらいいのか。
レースが終わって自分たちの車を何kmも先の、コースの端まで行って確認し、運んで来るまでは、憂鬱で退屈なものである。
クレルモン・フェランのフランスGPでは、40周のレースを4周と9周でバックナムもギンサーもリタイヤしてしまった。
ピットの前の直線をただ短調にビュンビュン走り過ぎて行く他チームの車を眺めているのにも、すっかり飽きてきた。
その頃日本では、レースのテレビ放送はもちろんなかったから、コーナーでF1が攻めぎあう光景など、雑誌の上の動かない写真でしか見たことはなかった。
またF1チームのメンバーもレース中は、自分達の車が何時ピットインしてくるかわからないから、ピットを離れてコースをうろつくわけにはいかない。ピットにテレビモニターなどは付いていない時代だ。
幸いにもクレルモン・フェランのピットの裏は雑木林で、そこを登ると、50Rのカーブの土手の上に行ける。そうだ、今日はレース見物をしよう。タイヤをキシマセて曲がってくるであろうF1達をじっくり眺めて、スピンでもしたら、バッチリ写真を撮ってやろう、と思い立った。
まず現れたのが、1963年のチャンピオンで先のベルギーGPでも優勝し、今回もポールポジションのロータスを駆るジム・クラーク。
期待に反して、タイヤも鳴らさず、無理なハンドルさばきもせず、何のヘンテツもなく、キレイにコーナーのインをついて曲がっていく。それでも2位の車がなかなか来ないところをみると断突に早いのだ。
次に来たのは今年の新人で、モナコ3位、ベルギー2位とすばらしい成績のジヤッキー・スチュアート。
フィアンセに贈られた鮮やかな青や黄色や赤や緑色のタータンチェックの分厚いリボンをヘルメットにはめて、うれしそうに駆け抜けていつた。(後年結婚して落ち着いたのか、タータンチェックのペイントに変わった)
1962年のチャンピオン、グラハム・ヒルは、首にネックサポートを付けている。
脳味噌が重いので、加減速の前後Gやカーブの横Gで頭が振られるのに、首が耐えられないのだそうだ。黒地に白のスイカのような縦縞(実はシェル・エイトのボート選手だったことを示す八本のオール)息子のデーモン・ヒルが引き継いだ、あのヘルメットの下で、太い口髭を食いしばって頑張っている。
大学卒でF1ドライバー協会会長のジョー・ボニエが、アゴ髭の大きな身体を、コクピットに詰め込んで走っていった。
余談になるが彼は、1968年最終のメキシコGPのプラクティスで自分の車を壊し、ホンダRA301のスペヤカーをホンダから借りて5位に入り、ホンダに最後の2点を稼いでくれた。他のチームから車を借りるなんて、F1レースもノンビリしていたものだ。
1959年と1960年のチャンピオン、ジャック・ブラバムは、ホンダと組むことになったF2の準備で忙しいのだろうか、出走していない。
ひととおり各ドライバーの写真を撮り終わった。さて、このカーブで競り合いを演じてスピンでもしてくれないものかと、カメラを構えて長い間待っていたが、何も起こらない。
ところが何回目かにカーブを曲って来たジム・クラークが、ファインダーから顔をはずしていた私に、なんと、右手を上げて、挨拶をしてくれるではないか。思わず手を振って答えた。しまった!シャッターを切りそこなった。
カメラを構え直して待っていると、次に来たヒルも手を振ってくれる。今度はちゃんとシャッターを切った。
結局2位のスチュアートに30秒もの差を付けて優勝したクラークを見る暇もなく、レースが終わるやいなや、バックナムとギンサーの車をコースの端までトラックで拾いにいった。
その日の夜更け、すっかり人通りもなくなったクレルモン・フェランの街の暗い通りに面して、我々のガレージ一軒だけが、こうこうと電灯を点けていた。
日本に連絡するために、レースで壊れたところをチェックし、アムステルダムへの帰り支度をしていたのだ。
そのガレージに酔っ払いが来て、何か喋っているという。
こんな時間に何用かと行ってみると、
「ピピ!ピピ!」(オシッコ!:幼児仏語)
暗い夜道を我慢して歩いてきたらしいオジサンが、差し迫った様子で股間を押さえて立っている。
「こちらへどうぞ」
と、明るく広いガレージを横切って、奥のトイレに案内した。
そのトイレは、前の壁から後ろの壁へ水が流れている中央の溝をはさんで、レンガ2枚分くらいの足場がニ個置いてあるだけの石造りで、これ以上簡素で頑丈な水洗トイレは世界中探してもないというシロモノ。さすがに古代ローマ時代から交通の要衝であったクレルモン・フェランならではのトイレだった。
900年前の中世に、聖地エルサレムをイスラム教徒の支配から奪回しようと、キリスト教の法王達が集って宗教会議を開き、最初の十字軍派遣を決めたのは、このクレルモン・フェランでの出来事だった。
この街の、月の出てない夜空には、酔っぱらいに立小便させないだけの魔力が、今でもなお、漂っているのだろうか。
お礼をいって立ち去るオジサンを見送りながら、星の光を遮ろうとシャッターを下ろした。
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