佐野教授の60’s F1物語へ 丸野エンジニアの手記へ 幻のHondaインディ計画へ 佐野教授とコレクションホールを行くへ 佐野教授の手紙へ 時代背景へ
丸野エンジニアの手記
オテル・ド・パリ

 この頃のF1は“走る広告塔”ではなかった。
 F1を速く走らせる機能や性能に関係のないタバコ会社やアパレル・メーカーの名前等で車体を埋め尽くしたり、スポンサーの色でF1を塗りつぶすなんて考えられないことだった。

 車体はFIA(世界自動車連盟)に登録されたナショナルカラーで塗装され、前年の成績で決められたゼッケン・ナンバーとドライバー名以外は何も書き込めなかった。
 当時のスポンサーは、スパーク・プラグ、インジェクション・ポンプ、クラッチ・フェーシング、ショック・アブソバー、ブレーキ、タイヤ等の部品メーカーやオイル会社だった。
 部品をF1に組み込んで走ってもらい、優勝して部品の優秀な性能を証明してもらうために、契約金を払っていたのだ。

 年間契約金がO万ドル、優勝すればボーナスがO千ドル、2位、3位、……6位入賞は夫々O百ドル、年間チャンピオンになればO万ドルと、チームとドライバーは別々にスポンサーと取り決めていた。車体には何も書かずに。
 優勝すれば、その部品メーカーは実力証明付きで、インパクトのある宣伝ができ、部品が売れて元が取れたからだ。
 タバコ会社がスポンサーになったF1が優勝しても、タバコを吸いながら走ったわけじゃないから、そのタバコが一番優秀だと信じる人間はいなかったのだろう。

 ホンダの最も大口のスポンサーはBP(英国石油)だった。BPはホンダの二輪チームがイギリスのマン島などで華々しい成績を収めているのをみて、F1にも大きな期待を抱いていたようだ。

 レースの時にチームが泊まるホテルもすべてBPが予約してくれてあった。モナコでホンダF1チームの為に予約してあったのが、カジノの向かいにある「オテル・ド・パリ」だった。
 しかし、世界中からモナコのカジノに遊びに来る大金持が泊まる「オテル・ド・パリ」は高級すぎる。朝早くから夜遅くまで、油まみれの作業衣で出入りしたい我々には、ちょっと使いにくい。ということで、アムステルダム出発直前に、もっと気軽で庶民的な駅前のオテル・デュ・セルクルに変更してもらってあった。

 そのホテル・デュ・セルクルに入ってみて分かったのだが、それぞれの部屋にはバスもトイレも付いてない。各階毎に一個所づつ、まとめてシャワーとトイレがある。モナコにも、こんなホテルがあったのかと驚いたほど質素なものだった。
 レースの直前に探したのでは、こんなホテルしか見付からなかったのだろう。
 翌朝、まだ薄暗いうちから外が余りにも騒がしいので、隙間だらけのブラインドを開けてみると、ホテルの掃除婦や料理人といったような人達が、駅からぞくぞくと出て来る。モナコを支えている人達だ。この人達を見ていて、ホテル・デュ・セルクルも、やっぱりモナコには必要なんだ、と納得したのだった。
 しかし、コースのピットと、F1整備用に借りていたガレージで一日が過ぎてしまって、ホテルに居る時間がほとんどなかったチームメンバーは、苦情をいっている暇さえなかった。

 チームの会計係もやっていた私は、レースの前日ひよっこり現れた前年のチーム監督・中村良夫所付に連れられて、チーム費用の大半を援助してくれていたBPのレース部長を、オテル・ド・パリに表敬訪問することになった。
 豪華なシャンデリヤの輝くロビーで、夫妻にコーヒーを勧められた。
「忙しいけど、コーヒー一杯だけ飲んで帰ろうか」
という中村さんに従ってコーヒーをいただくことにした。
 ギャルソンが、うやうやしく持ってきたコーヒーは、意外にも、カップの上にもう一つ、濾紙とコーヒーの粉が入って底に穴のあいたカップが乗っている、ドリップ式のものだった。
 ホテルの地下とカジノをトンネルで繋いだのは、アメリカ人客には便利だと受けが良かったかもしれない。だけど、こんなに手を抜いたコーヒーを出すなんて、オテル・ド・パリも、ついにアメリカナイズされてしまったのかと、いささかがっかりして、もう一度シャンデリヤを見上げた。

 5分くらい経って、ギャルソンがお湯を注いでいった上のカップを少し持ち上げてみたが、下のカップには、まだほんの少しのコーヒーしか溜っていない。
 チーム・メンバーが午後のプラクティスの準備に、忙しく立ち働いているのが目に浮かぶ。だが、この少しのコーヒーをすすって逃げ帰るわけにもいかない。
 内心あせってはいても、「ここでイギリス紳士に引けをとってはならない」と、自分にいい聞かせて悠然と座り直した。
 勧められた葉巻をくゆらせながら、「コーヒー一杯で、こんなに時間がかかるのでは、レースなどやっちゃいられない。ああ、“オナシス”のオテル・ド・パリにしなくてよかった」とつくづく思ったのだった。