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1965年度F1チームの先発メンバーは、車体設計の森潔、エンジン性能研究の奥平明雄、丸野の三人だった。1965年5月14日午後10時45分、羽田からアムステルダムへ向けてKLM機で出発した。
当時、ミグ戦闘機が待ち構えている共産主義国家ソビエト連邦の上空を飛んで、ヨーロッパへ行くわけにはいかなかった。
羽田を離陸したKLM機は、北東へ向かってアリューシャン列島ぞいにアラスカへ行った。アンカレッジ空港でしっかり給油し、ソ連の裏側の北極海を飛び越えて、ヨーロッパへ向かう航路をとっていたのだ。
5月14日午前11時10分、残雪にぬかるむバラック建ての売店を横目に見ながらアンカレッヂを飛び立った。左に北米大陸最高峰マッキンレーの白い山塊を見送った後は、初体験の外国旅行の緊張感は疲れに変わって眠気がさしてきていた。すると、
「ただ今、北極上空を通過しました」
というアナウンスと同時に、「ボクは北極上空を飛んだよ」と、友達に誇れるように、「北極通過証明書」と書かれた卒業証書の半分ぐらいの証書と、この飛行機の絵葉書をスチュアーデスが配って歩いた。
どこが北極なのだろうかと、眠たい目を擦りながら窓の下を見渡してみたが、ただ白い雪原がどこまでも広がっているだけで、どこにも北極の「標し」は見当たらなかった。
もっとも、水深4000mの海に浮かぶ氷の上に「標し」を建てても、それが北極に止まっている保証はなにもない。
アメリカとソ連の原子力潜水艦が競って北極の氷の下を通過し、長距離潜航能力を誇示していたが、誰も見ていない氷の下の、何の目印も無い北極を通過したなんて、どんな証拠があるのだろう。アザラシにでも「証明書」を出してもらったのだろうか。などと勝手なことを考えているうちに眠ってしまった。
真横から照り付ける何時までも沈まないオレンジ色のまばゆい太陽に起こされて外を見ると、主翼が夕日(朝日?)を反射して金色に輝いている。その主翼に、極く浅く凹んだアリジゴクの巣のようなリベットの窪みが並んでいる。
そのリベットを見ているうちに、車体屋さんがリベットの強度をテストしていたのを思い出した。飛行機の技術を取り入れて、アルミ板をアルミ・リベットで繋いでF1のモノコック・ボディを作ろうとしていた。
強度テストだから、リベットを引っ張り続ける。アルミ板がアリジゴクの巣のように段々深く凹んでいく。アルミ板が破れるか、リベットの首が切れて飛ぶまで加重をかけるのだ。
飛行機のリベットは長い滞空経験と厳重な強度テストを基に設計してある。リベットの首が飛んで主翼がバラバラになり、我々が北極の雪原に放り出されて、白熊の餌食になるなんてことは、絶対にないのだ。と自分に言い聞かせて、また眠ることにした。
スカンジナビヤ半島の遥か北にあるスピッツベルゲン島の真っ白い山並みに、乗客の注意を促しているスチュワーデスのアナウンスに起こされた。
人間が住む最北の村があるそうだ。ここは北緯80度。南緯70度の昭和基地より10度も極に近い。何が楽しみでこんな寒い所に住み着いて居るのだろうか。暖かい鹿児島生まれの寝ぼけた頭が迷っている間も、飛行機は飛び続ける。
ノルウェーのフィヨールドを眺めながら食事をとり、北海を渡ると、平らな緑地にレンガ造りの家が点々と見えてきた。やっとオランダに辿り着いたらしい。旅行案内書の写真で見たような町並みが、「ここがヨーロッパだよ」と教えてくれているようだ。
しかし、オランダの正式な国名は「ネーデルランド」(低い土地)。国土の1/4は海面より下にあるという。地面から水がしみ出て、じくじくしているかもしれない。
と、思う間もなく、飛行機は滑るように、海面下4メートルの乾いたスキポール空港に着陸した。 5月15日午前 8時30分だった。
初めて乗った飛行機の18時間に及ぶ長い長い旅。とぎれとぎれの睡眠。運動不足。タラップを降りた眩しいスキポール空港の地面に、足の裏がぴったりとは付かない感じだ。
スーツケースをどんな所で受け取ったか。空港の税関をどういうふうに通過したか。どこでタクシーに乗ったか。どの道を通ったか。時差ボケの頭は全然覚えていない。
とにかくタクシーに乗ってたどり着いた我々のホテルは、コンセンルトヘボーに程近いフォンデル公園の縁にあった。まだ若いプローイ夫妻が切盛りする家族的でこじんまりしたホテル・ボルグマンだった。
翌朝、ダイニングルームに降りてテーブルに着くと、トースト二枚とジャム、薄切りのゴーダ・チーズ三枚が乗っかった皿が運ばれて来た。
体が大きくて頑丈なオランダ人が、たったこれだけで昼までもつのかしらと、不思議に思いながら、初めてのコンチネンタル・ブレクファストを食べて、コーヒーを飲んだ。
窓の外には、堀越しに、鮮やかな緑の芝生におおわれたフォンデル公園が広がっていた。あちこちに、黄色や赤や白の大きなチューリップが咲き競っている。
確かにオランダはチューリップの国と教科書で習ったが、オランダのチューリップがこんなに大きいとは書いてなかった。日本のチューリップの二倍はある。
「ああ、本当に農業国のオランダに来たんだ」と、時差ぼけの頭を納得させてくれたチューリップだった。
先発隊の仕事は、まずレンタカーを借りて空港に行き、送られてくるF1車とスペア・エンジン、それに沢山の部品を通関して受け取るとことだ。
また、テストやレースに必要な品物を現地調達して、本隊が到着した時、すぐ仕事が始められるよう、準備しておくことだった。
その頃、オメガのストップウォッチを日本で買うと大変高かったので、私がアムステルダムで買うことになっていた。
ホテルで教えてもらった時計屋に行って、オメガのストップウォッチを見せてくれと頼んだのに、
「こちらはオメガと全く同じ部品を組立てたHという会社の新しい製品、性能は同じで値段はオメガの半分です」
と、ブランド名以外の外観はオメガと全く同じストップウォッチを見せられた。
未だ経済小国だった日本の客は、安い物しか買わないと思っているようだ。
「いや、オメガを見せてくれ」
と、催促すると、どうやらHの方がマージンが多いらしい、しぶしぶオメガを取り出してHに並べた。
さて困った、どちらにしようかと、つらつら見比べているうちに、スズカでラップタイムをとっていて、何時も疑問に思っていたことを試してみようと思いついた。
その疑問というのは、「メカ式のストップウォッチをスタートさせて、ラップタイムを取るのに、止め針だけを、止めたり動かしたり、止めたり動かしたり繰り返しても、時間は狂わないのだろうか」ということだった。
絶好のチャンスだ。ストップウォッチが二つあるから、そのテストが出来る。
店員の目の前で両手に、それぞれオメガとHを持ち、二つのストップウォッチを同時にスタートさせた。Hの方だけ止め針を、カチャカチャと50回ぐらい止めたり動かしたりを繰り返してみた。
すると、どうだろう、Hは5秒も遅れてしまった。オメガも同じテストをしたてみたがオメガは遅れない。
やっぱりF1と同じで時計も部品の精度だけではなく、組立てや調整の技術が大事なんだということを、オランダにきて偶然発見。びっくり顔の店員を尻目にオメガを買って帰った。
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