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丸野エンジニアの手記
次はインディだ

 新村さんが突然、
「来週、アメリカに行くからね」
と、いいだしたのは、私が新婚旅行から帰って来た1964年の5月中旬だった。

 「F1は馬力が出たから、勝てるだろう。次はインディだ」と、オヤジさんは、新村さんを連れて、インディアナポリスの500マイル・レースを見に行くことになったらしい。

 F1の開発を初めてから、同じ自動車のレースとして、インディにも興味は持っていた。しかし、レースに出るとなると、話は別だ。結婚休暇で溜まった仕事をこなしたあと、夜遅くまで残業し、アメリカの自動車雑誌で下調べを始めた。

 一番ポピュラーなのがオッフェンハウザー(通称オッフィ)直列4気筒 4.2リッターのエンジンをフロントに搭載し、ドライバーのお尻の横をギリギリにドライブ・シャフトを通してリヤ・ドライブ。強力なトルクで楕円形のコースをグルグル 200周走る。

 燃料はガソリンではなくて、水で消火出来るメチルアルコールを使う(毒性のないエチルアルコールだと水で薄めて飲むヤツがいる)。

 左回りに、ぐるぐる回るだけだから、車体は車輪に対して、左側にオフセットしている。操縦性はあまり問題にならないらしい。

 500マイルは800km。F1の2倍も走るのだから、給油やタイヤ交換を何回かやらなきゃならない。ピット・クルーの技量がタイムにひびく。ピット・クルー専門のチームがあって体を鍛えている。車の開発チームと契約を結んでいるらしい。

 タイヤの締め付けはセンター・ロック方式。ロックナットの角をハンマーで、ひとなぐりすればタイヤが外せる。腕っ節の強いクルーが必要だ。

 インディアナポリスに着いた新村さんから、テレックスが届いた。プラクティスのタイムが平均車速に換算してある。158.8マイルは255キロだ。速い。

  マイル/時  
ジイム・クラーク 158.8 FV8
(フォード・V8エンジン)
マーシュマン 157.8 FV8
ロジャー・ウォード 156.4 FV8
パーネリー・ジォーンズ 155.0 FV8
A・J・フォィト 154.0 OFF
(オッフィー直4エンジン)
ダン・ガーニー 154.0 FV8

 長年君臨していたオッフィー・エンジンに代わって、今年は上位を殆どフォードのリヤエンジン/リヤドライブ車が占めている。コクピットの横をすり抜けるドライブ・シャフトが無いだけでもスッキリした設計ができる。

 F1と同じ構造になりつつあるのだ。

 帰国後、新村さんから、インディーに関する様々な説明があった。  その中に、メタノールを使うとエンジン・トルクが増えるという話があった。

FV8 ガソリン 400PS/8500RPM
メタノール 450PS/8500RPM
OFF ガソリン 400PS/6500RPM
メタノール 440PS/6500RPM

 従ってガソリン用に設計したエンジンは強度を増しておく必要がある。

 新村さんは撮ってきた沢山の写真を説明した。
 インディ500のイヤー・ブック(年鑑)も買って来た。
 250ページのこの本にはインディに関するあらゆる情報が盛り込まれている。前年の正式順位、タイム、平均速度、賞金などのリストが載っている

 賞金の中に、ラップ賞というのがある。200周のどの周でも、とにかくトップでゴールラインを通過すれば、150ドル(1963年)貰える。トップの車がピットインして給油してる時には2位の車にチャンスが来る。200周の内、100周トップだと、それだけで15,000ドルもらえる計算になる。

 優勝者には数多くの賞金や賞品があるが、レースのペース・カーも贈られる。それから、時代を感じさせるポータブル・カラー・テレビも賞品だ。

 優勝者とそのメカニックの奥さん方には、ドロシーという会社などから商品券その他多数。内助の功も称えるのは、いかにもアメリカ的。

 「優勝者だけでなく、出走した全車に賞金が出ている。2周でリタイヤした選手にも、6,250ドルが支払われている。年に一回しか行われないレースの一週間に及ぶ予選を勝ち抜いて、本レースに出走するだけでも大変なことなのだ。

 私の手帳には、1964年9月と10月に、インディ先行テスト用のV型2気筒エンジン“K030”を設計し、1965年の3月から4月にかけて、実車テスト用のエンジンを設計する予定が書き込まれている。

 しかし、F1のレースが始まってみると、そんなに簡単には勝てないことが分かってきた。F1エンジンの改良に没頭する日々が続いて、インディは忘れられていった。

 一年ぐらい経って、新村さんに、「この写真とインディのイヤーブックは、お返ししましょうか」、と言ったところ、「お前、持ってろ」、と言われ、そのまま私の手元に残っている次第だ。

 オヤジさんの夢が受継がれて、ホンダがインディアナポリスのレースに出場したのは30年後の1994年だった。