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従ってガソリン用に設計したエンジンは強度を増しておく必要がある。
新村さんは撮ってきた沢山の写真を説明した。
インディ500のイヤー・ブック(年鑑)も買って来た。
250ページのこの本にはインディに関するあらゆる情報が盛り込まれている。前年の正式順位、タイム、平均速度、賞金などのリストが載っている
賞金の中に、ラップ賞というのがある。200周のどの周でも、とにかくトップでゴールラインを通過すれば、150ドル(1963年)貰える。トップの車がピットインして給油してる時には2位の車にチャンスが来る。200周の内、100周トップだと、それだけで15,000ドルもらえる計算になる。
優勝者には数多くの賞金や賞品があるが、レースのペース・カーも贈られる。それから、時代を感じさせるポータブル・カラー・テレビも賞品だ。
優勝者とそのメカニックの奥さん方には、ドロシーという会社などから商品券その他多数。内助の功も称えるのは、いかにもアメリカ的。
「優勝者だけでなく、出走した全車に賞金が出ている。2周でリタイヤした選手にも、6,250ドルが支払われている。年に一回しか行われないレースの一週間に及ぶ予選を勝ち抜いて、本レースに出走するだけでも大変なことなのだ。
私の手帳には、1964年9月と10月に、インディ先行テスト用のV型2気筒エンジン“K030”を設計し、1965年の3月から4月にかけて、実車テスト用のエンジンを設計する予定が書き込まれている。
しかし、F1のレースが始まってみると、そんなに簡単には勝てないことが分かってきた。F1エンジンの改良に没頭する日々が続いて、インディは忘れられていった。
一年ぐらい経って、新村さんに、「この写真とインディのイヤーブックは、お返ししましょうか」、と言ったところ、「お前、持ってろ」、と言われ、そのまま私の手元に残っている次第だ。
オヤジさんの夢が受継がれて、ホンダがインディアナポリスのレースに出場したのは30年後の1994年だった。
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