日本が東京オリンピックに湧き、高度成長の急坂を登り始めたこの年、アメリカが誇るインディ500マイルレースは、偶然にも歴史的な節目のレースとして位置づけられることになっていた。
手帳は、1週間毎に見開きで日付が印刷されていた。左側のページが7つに区切られ、上から下に向かって月曜日から日曜日までの予定を書き込めるようになっている。右ページはメモのための余白。この書式は現在、文具店で見かけるものと同じである。すでに40年前にこの形は存在していたのだ。
その手帳の5月の第一週の余白に簡素な表があった。表は、7から12までの数字が上段に、1から6までの数字が下段に書かれ、罫線で区切られていた。上段が1964年、下段が1965年だと、と丸野さんは教えてくれた。
表には記号が記されていた。7月の位置にある“RC”は2輪、8月の“RA”はF1を意味する。当時は、2輪と4輪の明確な担当分類がなく、開発が混在していたことを物語っている。
そして、表の9月と10月の2カ月に当たる部分を区切って矢印で範囲指定され、“K030(Indy)”の文字が見える。K030は、先行開発用単気筒エンジンの呼称である。それはかっこ付きの注釈にあるように、インディ用エンジンのことだった。
また、7月から1月区切りの大まかな年間予定が書かれたその表は、翌年の6月までのちょうど1年分を現しているが、翌年の2月と3月の区切りの罫線を起点とする矢印に“Indy”と書き込まれている。間違いなく、インディ計画は存在していたのだ。
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