ヨーロッパ耐久レース Honda無敵艦隊の軌跡 1976~1979

2016-2017FIM世界耐久選手権(EWC)シリーズには、Hondaのマシン「CBR1000RR」を駆るチームとしてHonda Endurance RacingとF.C.C. TSR Hondaの2チームが参戦。最終戦の鈴鹿8時間耐久ロードレースまで続く全6戦のシリーズを戦っています。そのEWCの前身がヨーロッパ耐久レース。1970年代には、Hondaチームが4年間にわたってライダータイトルとメーカータイトルを独占し、その強さゆえに「無敵艦隊」と呼ばれました。ヨーロッパ耐久レースでのHondaチームの軌跡を振り返ります。

1976 ボルドール真夜中の攻防戦の末、
大観衆から沸き起こるHondaコール

スタン・ウッズ(左)、ルネ・ギュイリイ(右)(76年 ボルドール24時間)
スタン・ウッズ(左)、ルネ・ギュイリイ(右)(76年 ボルドール24時間)

 ついに迎えたボルドール24時間(フランス)は、第40回記念大会とあって14万人の観客を集める大盛況となった。Hondaはエースペアとして、いまだ治療中のレオンの代役にGPライダーのアレックス・ジョージを起用してシュマランと組ませ、セカンドペアにスタン・ウッズとGPライダーのジャック・フィンドレイを起用し、ジャポートにもRCBのエンジンを貸与する必勝体制。一方、過去2年間のボルドールの覇者であるシデム・カワサキは、本来の2台に加えてスプリントライダーによる2台を増強。1台は後にWGPで名を馳せるクリスチャン・サロンとデニス・ブロムのペア、もう1台はイボン・デュハメルとジャン・フランソワ・バルデという陣容だ。予選は、スプリント仕様のRCB1000を駆るルイズ/ユゲ組が1分44秒5でトップ。2番手はソノート・ヤマハTZ750のジャン・ポール・ボイネ/パット・エバンス組、3番手はシデム・カワサキのデュハメル/バルデ組。以下もRCB1000とシデム・カワサキが続いた。

 9月18日午後4時、戦いの火ぶたが切って落とされた。スタートでトップに立ったソノート・ヤマハは、1時間経過時には大きく後退し、代わってデュハメルがトップに浮上。2番手はシュマランで、上位10台のうち9台をHondaとカワサキで占めた。ラップタイムではRCB1000が勝るものの、耐久の王者シデム・カワサキは巧みなピットワークで詰められたタイム差を取り戻す。スタートから2時間が経過したところで、リガル/ギュイリイ組が他車の転倒に巻き込まれクラッシュ。自力でピットに戻ってきたが、修復作業を余儀なくされる。また、3時間経過時にはルイズ/ユゲ組がエンジントラブルでリタイア。こうして4台のRCB1000のうち2台がトップグループから脱落した。一方、シデム・カワサキは夜になっても好調をキープ。10時間が経過した深夜2時にサロンがトップに立ち、デュハメルが2番手に続いた。シュマラン/ジョージ組は2周遅れの3番手。もはや打つ手なしかと思われたが、秋鹿監督は「KEEP」の指示を出し続け、再びペースが上がる夜明けを待った。

ジャン・クロード・シュマラン(76年 ボルドール24時間)
ジャン・クロード・シュマラン
(76年 ボルドール24時間)

スタン・ウッズ(76年 ボルドール24時間)
スタン・ウッズ
(76年 ボルドール24時間)

ロジェ・ルイズ(76年 スラクストン400マイル)
ロジェ・ルイズ
(76年 スラクストン400マイル)

ジャン・クロード・シュマラン(76年 スラクストン400マイル)
ジャン・クロード・シュマラン
(76年 スラクストン400マイル)

 はたして秋鹿監督の予想は的中し、シデム・カワサキの2台は相次いで予定外のピットインを行った。特に、深夜に飛ばし続けたサロンは、一時の快足ぶりがウソのように影を潜めた。また、デュハメル/バルデ組のマシンはオイル漏れを起こし、修復作業に3周を費やした。スタートから19時間が経過した午前11時、ついにシュマラン/ジョージ組がトップに躍り出た。その後も彼らは首位の座を守ったまま、ファイナルラップに突入。シュマランの駆るRCB1000がゴールへ迫るにしたがって、14万人の観客から「Honda! Honda!」の大合唱が沸き起こった。ついに762周・3214kmを走り抜いてチェッカーを受けたシュマランとスタッフを、どっと押し寄せた観客がもみくちゃにしてたたえる。シュマランは前年を87周も上回る驚異的なスピードで優勝を果たし、さらにヨーロッパ耐久選手権のライダータイトルも獲得した。

 最終戦のスラックストン400マイル(イギリス)でもRCB1000は強さを見せ、ルイズ/ユゲ組が初優勝。2位にシュマラン/エバンス組が続き、ウッズ/ルター組が4位となった。また、ジャポートも3位を獲得した。

 こうして、Hondaは1976年に参戦した8戦中7戦で優勝、そのうちヨーロッパ耐久選手権は5戦全勝を達成してメーカータイトルを獲得。参戦計画立案当初の目的を完璧な形で達成した。この一連の活躍は、ヨーロッパの耐久レース熱をさらに盛り上げただけでなく、日本でもなじみが薄かった耐久レースを身近なものへとしていった。それまで、日本で二輪レースといえばスプリントレースという認識で、耐久レースはごく一部の人が楽しむ程度であった。それが、RCB1000の活躍が雑誌などで紹介されるにつれて耐久レースの存在が広まり、また楽しさも知られるようになっていった。こうした耐久レースの盛り上がりが、Hondaをさらなる勝利へと向かわせたのである。

ヨーロッパ耐久レース 1976年 リザルト