モータースポーツ > ダカールラリー > 1981-1989 Honda パリ・ダカールラリー参戦記 後編

DAKAR RALLY 2013

後編

砂漠の革命・NXRの快進撃

1986年の第8回大会には、BMWファクトリーチームのR80GS(1040cc)のほかに、Lツインエンジンを採用したカジバのエレファント、そして、ヤマハは従来の660cc2気筒マシンに加え、並列4気筒エンジンを搭載した最高時速200kmのモンスターマシン・FZ750テネレを投入し、多くのファクトリーマシンがそろった。

これらのライバルに対して、決してハイパワーではなかったNXRは高速巡航で若干不利な場面も見られたが、そのコンセプト通り、高速での操縦安定性やトータルの運動性能は抜群で、パリダカ史上最も過酷だったとも言われる約1万5000kmの行程を、ほぼノートラブルで走り抜けたのである。

この結果、ヌヴーが優勝、さらにNXRに乗るジル・ラレイ、XL600改のアンドレア・バレスティエリが続き、Hondaは1-2-3フィニッシュを達成した。この完ぺきなレース展開によって、NXRは“砂漠の革命”と呼ばれた。そして、この勝利をきっかけにパリダカマシンはさらに過激に進化していった。

各ファクトリーは、本命ライダーをサポートするライダーを走らせ(大抵は3台体制)、これらファクトリーマシンを支えるメカニックや部品は、四輪マシンやトラックで競技に参戦しながらこれを追う。さらには、次のベースキャンプまで飛行機で人員や物資を輸送するという、砂漠の機甲師団と化していったのだ。

その戦いの激化ぶりを象徴するように、87年の第9回大会は、NXRのヌヴーと、カジバのオリオールが一騎打ちを展開した。第1回大会からライバルだった2人は、ゴール前日まで激しくトップを争った。

そして、オリオールが木の株にぶつかり、両足を骨折したことで、Hondaとヌヴーの2連勝が決定した(なんとか自力でゴールにたどり着いたオリオールは、そのあと引退を表明した)。

激闘の末に4連勝達成

88年の第10回大会では、打倒NXRを目標にしたライバルのチャージが激しいものとなった。新たにスズキがファクトリー参戦し、BMWから移籍したライエがニューマシンのDR-Z800に乗った。

そして、ヤマハは本社のモータースポーツ開発部が手がけた純ファクトリーマシンYZE750を投入。NXRと同じトータルバランス重視の内容で、コンパクトな水冷DOHC5バルブの750cc単気筒エンジンを搭載していた。

このライバルの進化に対し、HondaもフランスHondaチームの3台に加え、イタリアHondaチームに3台、プライベートサポートに1台と、計7台のNXRを投入。しかし、ヤマハのニューマシンに乗るフランコ・ピコが強敵として立ちふさがり、かつてない苦戦を強いられたのである。

大会序盤にトップに立ったピコは、そのままリードを広げた。本命と目されていたものの、転倒が目立ったヌヴーは、中盤で岩に接触して足を骨折し、リタイアしてしまう。

代わって、この年からNXRに乗るエディ・オリオリがピコを追うが、その差はじわじわと広がっていくばかりだった。ところが、主催者のミスで存在しないチェックポイントが地図に掲載されており、それを探したピコは大きなタイムロスを喫してしまう。

その間にオリオリがトップに立った。これを猛然と追うピコには逆転のチャンスが残されていたが、最終日の競技が短縮されたことで、オリオリがからくも逃げきることに成功した。これで、NXRは3連勝。206台がエントリーしたモト部門は、完走がわずかに34台というサバイバルレースとなった。

89年の第11回大会では、ヤマハは前年の雪辱を果たすために、YZEに改良を加えてきた。対するNXRもパワーアップと運動性向上などの熟成を進め、NXRとYZEの一騎打ちが展開されたのだ。

逃げるNXRのラレイ、それを追うYZEのピコ。この年は、運営上のトラブルや大事故もなく、非常にスムーズな大会運営となった。このため、2台のマシンの戦いは正真正銘の実力勝負となり、パリダカにおいては“僅差”である、54分という差でラレイが逃げきったのである。

Hondaの4連勝。この記録は、1995年~98年にヤマハが達成するまで、四輪部門でのプジョーの4連勝と並ぶ歴史的な記録であった。そして、この年をもって、Hondaはパリダカにおけるファクトリー活動を終了した。

パリダカにおけるマシン作りを変えたと同時に、不敗を誇ったNXRは、70年代の耐久レースで活躍したRCB同様、“不沈艦”としてその名を後世に残すことになった。

NXRのVツインエンジンは、当初からその設計をほとんど変えずに最後まで使われ続けた。フラットトラックレース用マシンのRS750Dのエンジンとともに、レースに革命を起こしたエンジンの一つだといえるだろう。

また、直後にはNXRのレプリカモデル「アフリカツイン」が発売され、パリダカをはじめとしたラリーレイドで多くのプライベーターに使われた。今から23年前に起こった“砂漠の革命”は、こうして結実したのである。