DAKAR RALLY 2013

DAKAR RALLY 2013 もっと楽しむための豆知識

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「世界一過酷なモータースポーツ」と言われるのはなぜ?

距離と日数、そしてラリーが行われる環境が厳しいからです。

パリという文化的な都市をスタートし、地中海を渡ってアフリカ大陸へ。ダカールラリーは、文化や宗教が異なるサハラ砂漠の国々を、縫うようにして走るラリーでした。サハラ砂漠では、大砂丘群をはじめとして、コンパス(方位磁石)必須の道なき道や、岩だらけの道が延々と続くエリアが、参加者の前に立ちはだかりました。さらに、全行程が長く、1日の走行距離も長大です。速さだけでは上位に生き残れず、サバイバルテクニックも求められる、そんな日々の連続が“世界一過酷なモータースポーツ”と言わしめるゆえんです。

また、スケール感も、ダカールの魅力の一つと言えるでしょう。現在各地で行われているラリーの主流は、レース期間が1週間ほど、距離は2000~3000kmです。これに対して、ダカールは約2週間をかけて8000km以上を走破します。

その厳しさは、開催地を南米に移した現在も同じです。世界一乾燥したアタカマ砂漠、標高4000mを軽く超える高地を抜け、時に標高1000m近くもある砂丘を駆け上り、そして下ります。連日にわたって数100kmのレースを戦う参加者にとって、肉体的にも精神的にも、さらにはマシンにもじわじわとダメージを与えていくのがダカールラリーの特徴なのです。

パリにもダカールにも行かないのに、なんで「ダカールラリー」っていうの?

最初はパリ~ダカールで行われていたからです。

ダカールラリーは、2013年で35回目を迎えました。当初はパリをスタートしたあと、スペインからアフリカ大陸に渡り、ゴールはダカールに設定していました。しかし、時代の移り変わりとともに、ダカールラリーもさまざまなトライをしてきています。

1992年には初めてゴール地点の変更が実施され、パリ~ケープタウン(南アフリカ)という1万2000km以上を走破するコースとなりました。さらに94年には、パリ~ダカール~パリと、パリをスタート後、ダカールを経由して再びパリでゴールする往復スタイルで実施。97年にはダカール~アガデス(ニジェール)~ダカールというコースで行われ、今度はスタートもゴールもダカールとなりました。

また、2000年はダカール~カイロ(エジプト)、03年はマルセイユ~シャルム・エル・シェイク(エジプト)と、パリ・ダカという通称を飛び越えたルートも設定されたことがありました。パリ・ダカの名前の通り、パリをスタートするという視点では、02年の第24回大会が今のところ最後です。

現在は大陸さえ飛び越えて、南米に舞台を移して行われています。

南米開催のダカールラリーはいつ始まったの?

2009年の第31回大会から始まり、13年で5度目です。

世界中から注目を集めるダカールラリーは、テロの脅威にさらされ、2008年はスタート直前で中止という決断が下されました。翌09年、主催者のA.S.O.は、ダカールラリーの舞台を、サハラ砂漠から離れて南米大陸のアルゼンチンとチリへ移す決断をします。そのときのコースは、アルゼンチンのブエノスアイレスをスタートし、チリのアタカマ砂漠をめぐり、再びブエノスアイレスへと戻る周回ルートでした。周回ルートは2011年まで、毎年大幅にルートを変えながら続きました。

そして12年、ダカールラリーの舞台に、南米3カ国目となるペルーが加わりました。スタート地点はアルゼンチンのマル・デル・プラタで、ゴールはペルーのリマ。コースは周回ルートから片道ルートへ。参加者は、毎日新鮮な気持ちで冒険に挑むことになりました。

そして、13年は昨年のゴール地だったリマからスタートします。南下してアンデス山脈を越え、アルゼンチンに入り、チリのサンティアゴを目指して走ります。

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