ライバルはダカールラリー。その先の勝利を目指して

2013年、“世界で最も過酷なモータースポーツ”ダカールラリーに、24年ぶりに参戦したHondaのファクトリーチームであるTEAM HRC。2013年の参戦から得た経験とデータを元に、翌年のダカールラリーには、新型のCRF450 RALLYを投入し、チーム体制も新たにして臨んだ。チャンピオンを目標に挑んだ2014年のダカールラリーは、まるで雲の合間から垣間見た最高峰の頂きのごとく崇高で、容易には近づけない場所であることを知らされる体験となった。

CRF450 RALLY
CRF450 RALLY

復帰3年目となった2015年。Tema HRCはダカールラリーの核心に迫るべく、さらに準備を進めた。市販ラリーマシンのベースとなるよう、ワークスマシンCRF450 RALLYは2014年型モデルを煮詰め、ラリーでの勝利はもちろん、Hondaの市販車にフィードバックするための“走る実験室”として、過酷な条件で先進技術を試す作業も同時に進められた。

2015年型CRF450 RALLYのエンジンは、速さと扱いやすさを向上。車体は悪路でのタフネスとスピードを強化、空力面もリファインすることで安定性が増した。これらの改善により、さらに勝負強さを身につけたマシンとして仕上がった。

パウロ・ゴンサルヴェス選手、ホアン・バレダ選手、ライア・サンツ選手、エルダー・ロドリゲス選手、ジェレミアス・イスラエル選手
左から
パウロ・ゴンサルヴェス選手
ホアン・バレダ選手
ライア・サンツ選手
エルダー・ロドリゲス選手
ジェレミアス・イスラエル選手

Team HRCのライダーは、Hondaからの参戦3年目となるエルダー・ロドリゲス選手(ポルトガル)。2014年からHondaに加わり、5度のステージ優勝を果たしたホアン・バレダ選手(スペイン)。同じく2014年からHondaに加入したが、残念ながら途中リタイアとなってしまったパウロ・ゴンサルヴェス選手(ポルトガル)のメンバーに加え、新たにジェレミアス・イスラエル選手(チリ)と、女性ライダーで、2014年は市販車ベースのCRF450 RALLYで参戦し、16位完走を果たしたライア・サンツ選手(スペイン)を加えた5名がラインアップされた。

また、2014年に引き続きHondaの南米チームは、名称をHondaサウスアメリカ(HSA)ラリーチームに変更し、ハビエル・ピゾリト選手(アルゼンチン)、ジェアン・アゼベド選手(ブラジル)、ダニエル・グート選手(チリ)、ハビエル・ロドリゲス選手(アルゼンチン)、デミアン・ギラル選手(アルゼンチン)の5名がエントリー。HondaのCRF450 RALLYが計10台、2015年のダカールラリーに挑むことになった。

チームは一年をかけて進化を続け、2014年10月に行われたモロッコラリーへの参戦で新型マシンのシェイクダウンを完了。チーム戦略とともにアップデートを重ねたTeam HRCは、2015年1月4日(日)、いよいよダカールラリーのスタートを迎えた。

 

ルートは、アルゼンチン、チリ、ボリビアを回る14日間、9308km(そのうち競技区間であるスペシャルステージの合計は4759km)。アルゼンチンのブエノスアイレスをスタートし、北西に進路をとり、アンデス山脈を越え、太平洋側へ。チリのイキケでのレストデイを経て、ボリビアへ。再びチリ、アルゼンチンを走り、ブエノスアイレスへと戻る周回ルートだった。

ラリー後半に、ビバーク地でチームからのサポートが受けられないマラソンステージが2度設定され、後半まで予断を許さない展開が演出されていた。

ラリー前半は、バレダ選手が持ち前のスピードを生かして、戦況を優位に進めていく。ライバルのKTMファクトリーチームは、自身5度目のダカール勝利を狙うエースのマルク・コマ選手(スペイン)を中心に、厚い選手層を誇り、連勝を狙った。バレダ選手は、コマ選手との総合順位におけるタイム差を見事にマネージメントしながら前半を走りきる。2014年とは異なる戦略だった。

パウロ・ゴンサルヴェス選手
パウロ・ゴンサルヴェス選手


ホアン・バレダ選手
ホアン・バレダ選手


ライア・サンツ選手
ライア・サンツ選手


エルダー・ロドリゲス選手
エルダー・ロドリゲス選手


ジェレミアス・イスラエル選手
ジェレミアス・イスラエル選手

後半戦は、チリのイキケからボリビアのウユニを往復するマラソンステージから始まった。ここでは、ステージ前日の雨により悪化した路面で、バレダ選手が転倒。ハンドルバーが折れるトラブルに見舞われる。なんとか総合トップは維持するも、12分以上あった差は6分ほど縮まってしまった。

雨の影響はマラソンステージ2日目にも残った。乾燥している想定のウユニ塩湖を走る2日目のステージは、スタートから100kmほど、延々と巨大な水たまりの中を走ることに。水たまりは浅いとはいえ、標高3600m、気温0℃の過酷な状況が追い打ちをかける。濃度の高い塩水の飛沫は参加者、マシンの電装系にダメージを与えていく。Team HRCのバレダ選手とエルダー・ロドリゲス選手もこの洗礼を受け、サポート役に徹したイスラエル選手を含む3名は、なんとかイキケに戻るが、トップから大幅に遅れることに。サンツ選手とゴンサルヴェス選手はトラブルが起こる前にビバークに帰着するなど、命運が分かれた。

このステージで、ここまで総合トップをキープしていたバレダ選手が、優勝争いから脱落。トップとの差は4時間以上に開いてしまう。代わってリーダーボードで2位になったゴンサルヴェス選手が、9分11秒差で総合トップのコマ選手を追う展開となった。

その後、ゴンサルヴェス選手は総合トップとの差を5分台まで縮めたが、2度目のマラソンステージで発生したマシントラブルにより、タイム差が拡大。その後は、降雨によるレースコンディションの悪化により、競技区間が途中でキャンセルされるなど、ばん回のチャンスが削られることがあった。

結果的に、ゴンサルヴェス選手は優勝したコマ選手と16分53秒差の2位となった。サンツ選手は女性ライダーとしての大会記録を更新する総合9位に。エルダー・ロドリゲス選手が12位、バレダ選手は17位、イスラエル選手はトラブルをサポートしたことでリタイアという結果に終わった。

Hondaサウスアメリカ(HSA)ラリーチームのピゾリト選手が19位、22位にアゼベド選手が入った。サポートを果たしたグート選手、ハビエル・ロドリゲス選手、ギラル選手はリタイアとなった。

「これがダカールだ」
参加者の多くはなにが起こっても受け入れ、対応し、前進する。その意味を込めてこう話すのだ。復帰3年目にして、前年ははるか遠くだった最高峰の頂を、間近に捉えたTeam HRC。とはいえ、ダカールラリーに必用なさらなる“強さ”を痛感したレースだった。優勝は逃したものの、この経験は、翌年の勝利への道のりを照らすものであるはずだ。

Reports & Results - Honda Dakar Rally 2015
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