レースへのあくなき情熱

レースへのあくなき情熱

モータースポーツ活動はHondaの企業文化の重要な柱の一つである。
そのルーツは、創業者・本田宗一郎のクルマ好き、レース好き、そして何よりも、「世界一のクルマをつくりたい」という本田の熱烈な想いの中に求めることができる。


1936年7月、第1回全日本自動車スピード選手権大会に、本田宗一郎は弟の弁二郎とともに出場した。フォード4気筒を自らの手でレーサーに改造したマシンを駆る本田チームは、トップを独走したが、ゴールに入る直前に、コースに入ってきた他車を避けようとして大回転。車外に放り出された弁二郎が骨折・全身打撲で6カ月の重傷、宗一郎は左腕と顔面に負傷した。

1949年夏、本田技研設立後間もない時期であったが、Hondaは戦後初めて開催されたモーターサイクルレース・日米親善対抗レースにHonda C型で参戦し、優勝している。
1954年3月にはブラジルで行われたサンパウロ市の400年祭記念国際オートレースに参戦。戦後初の国産車による国際レース参加として注目された。大村美樹雄の駆るドリーム号・R125は13位という成績を残したが、上位を占めたヨーロッパ勢との技術格差は歴然たるものがあった。同レースへの参戦は、1955年から参戦した国内の浅間高原レース(2回目より浅間火山レース)でのHondaスピードクラブの面々の活躍とともに、後に本田技研の社運をかけて挑戦するマン島TTレースへの布石ともいえるものであった。

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1961年の西ドイツGPで力走する高橋国光

1961年、Hondaはマン島TTレース参戦3年目にして、125cc、250ccとも1位から5位までを独占。完全優勝を果たした。また、この年の世界GPレースでも、両クラスのメーカーチャンピオンを獲得した。
「レースをしなけりゃクルマは良くならん。観衆の目前でシノギを削るレースこそ世界一になる道だ」という本田宗一郎の強烈な想いは、本格的な国際規格のサーキット建設に突き進んでいった。
1962年9月、本田の夢は鈴鹿サーキットとして実現した。

1967年のシーズンを最後に2輪の世界GPを離れたHondaが参戦を再開したのは、1979年であった。4サイクルのNR500で挑戦を開始。苦戦の時を経て、1982年には2サイクルのNS500が実戦デビューした。
1985年から投入されたNSR500はフレディー・スペンサーやマイケル・ドゥーハンなど、多くの世界チャンピオンを誕生させた。

1964年1月、HondaはF1世界選手権への出場を宣言した。F1初代監督の中村良夫に率られたチームは、エンジンもシャーシもHonda製のRA271で1964年8月のドイツGPに初出場。1965年のメキシコGPでは、リッチー・ギンサーの駆るRA272で念願の初優勝を遂げた。1968年のシーズンをもって第1期のF1活動は休止された。低公害エンジンの研究・開発、本格的な乗用車メーカーとしての地歩を固めるための活動に戦力を集中しなければならなかったのである。

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1967年のモナコGPでRA273を駆るジョン・サーティース

1983年にHondaはF1世界選手権への復帰を果たした。この第2期ではエンジンのみの供給という形を採り、1988年にはマクラーレンのシャーシに搭載したV6ターボエンジンで、16戦中15勝という圧勝ぶりを見せた。また、1987年からは鈴鹿サーキットでF1日本GPが開催され、日本でのF1ブームが一気に大きなうねりとなった。6年連続コンストラクチャーズチャンピオン獲得という輝かしい戦績を残し、第2期F1活動は1992年のシーズンをもって休止した。
1998年3月9日、HondaはF1レース活動復帰に向けて具体的検討に入ったことを公表した。その内容は、新たに車体の開発・製造、およびチーム運営までを含めた「HondaのF1レーシングチーム」としての総合的なレース活動を目指していくというものであった。

1993年1月、アメリカン・ホンダ・モーターは1994年からのPPGインディカー・ワールドシリーズへの参戦を発表。初のアメリカンモータースポーツへの挑戦で1年目は苦戦を強いられた。初勝利を挙げたのは1995年、ニューハンプシャーでの最終戦であった。
1996年には、エンジンサプライヤーに与えられるマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得。同時に、アレックス・ザナルディーがルーキー・オブ・ザ・イヤーを、ドライバーズチャンピオンをジミー・バッサーが獲得し、挑戦3年目にして3冠を達成した。

1997年8月、Hondaは栃木県茂木町にツインリンクもてぎをオープンした。世界のレース場としては初のオーバルコース・スーパースピードウェイとロードコースの二つを併せ持つ。1988年の建設計画発表以来、9年余の歳月を費しての完成であった。
1998年3月には、日本で初めて、アメリカンモータースポーツで最も人気のあるインディカー・レースの公式戦が、ツインリンクもてぎで開催された。

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Hondaのチャレンジングスピリット

エキスパートを生み出すシステム
  1. エキスパートを生み出すシステムエキスパートを生み出すシステム
  2. 技術研究所の分離・独立 / 1960技術研究所の分離・独立 / 1960
  3. 私の記録、資格制度の導入 / 1960私の記録、資格制度の導入 / 1960
ついに果たした四輪業界への進出
  1. ついに果たした4輪業界への進出ついに果たした4輪業界への進出
  2. S360・T360発表 / 1962S360・T360発表 / 1962
  3. 4輪車の販売体制づくり / 19664輪車の販売体制づくり / 1966
  4. N360発表 / 1967N360発表 / 1967
  5. Honda1300発表 / 1968Honda1300発表 / 1968
  6. CVCCエンジン発表 / 1972CVCCエンジン発表 / 1972
  7. シビック発表 / 1972シビック発表 / 1972
  8. アコード発表 / 1976アコード発表 / 1976
世界に市場を求め、需要のある所で生産する
  1. 世界に市場を求め、需要のある所で生産する世界に市場を求め、需要のある所で生産する
  2. アメリカン・ホンダ・モーター設立 / 1959アメリカン・ホンダ・モーター設立 / 1959
  3. ベルギー・ホンダ・モーター設立 / 1963ベルギー・ホンダ・モーター設立 / 1963
  4. ホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチャリング設立 / 1980ホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチャリング設立 / 1980
展開期に向けての爽やかなバトンタッチ
  1. 展開期に向けての爽やかなバトンタッチ展開期に向けての爽やかなバトンタッチ
  2. 本田・藤澤両トップ退任、河島社長就任 / 1973本田・藤澤両トップ退任、河島社長就任 / 1973
先進性・独創性にあふれた技術・商品群
  1. 先進性・独創性にあふれた技術・商品群先進性・独創性にあふれた技術・商品群
  2. 長円形ピストン・エンジン / 1979長円形ピストン・エンジン / 1979
  3. ホンダマチック・トランスミッション / 1968ホンダマチック・トランスミッション / 1968
  4. カーナビゲーションシステム / 1981カーナビゲーションシステム / 1981
  5. エアバッグ・システム / 1987エアバッグ・システム / 1987
  6. 舵角応動型4輪操舵システム(4WS) / 1987舵角応動型4輪操舵システム(4WS) / 1987
  7. VTECエンジン / 1989VTECエンジン / 1989
  8. MEエンジン(G100・150・200・300・400)シリーズ / 1977MEエンジン(G100・150・200・300・400)シリーズ / 1977
  9. ZEエンジン(GX110・140・240・270・340)シリーズ / 1983ZEエンジン(GX110・140・240・270・340)シリーズ / 1983
  10. DREAM CB750FOUR / 1969DREAM CB750FOUR / 1969
  11. CG125 / 1975CG125 / 1975
  12. ロードパル / 1976ロードパル / 1976
  13. シティ / 1981シティ / 1981
  14. NSX / 1990NSX / 1990
  15. オデッセイ / 1994オデッセイ / 1994
  16. 電気自動車・Honda EV PLUS / 1988電気自動車・Honda EV PLUS / 1988
  17. 携帯発電機・E300 / 1965携帯発電機・E300 / 1965
  18. 歩行型芝刈機・HR21 / 1978歩行型芝刈機・HR21 / 1978
  19. ミニ耕うん機・F200『こまめ』 / 1980ミニ耕うん機・F200『こまめ』 / 1980
ものづくりの本質を追求するHondaの生産技術
  1. ものづくりの本質を追求するHondaの生産技術ものづくりの本質を追求するHondaの生産技術
  2. ホンダエンジニアリング設立 / 1974ホンダエンジニアリング設立 / 1974
  3. 世界一コンパクトな溶接ライン / 1982世界一コンパクトな溶接ライン / 1982
  4. 箱物部品のモジュールトランスファーライン / 1981箱物部品のモジュールトランスファーライン / 1981
  5. 塗装自動化ライン / 1988塗装自動化ライン / 1988
レースへのあくなき情熱
  1. レースへのあくなき情熱レースへのあくなき情熱
  2. 鈴鹿サーキット完成 / 1962鈴鹿サーキット完成 / 1962
  3. 2輪世界GP参戦 / 19792輪世界GP参戦 / 1979
  4. F1参戦 - 第1期 - / 1964F1参戦 - 第1期 - / 1964
  5. F1参戦 - 第2期 - / 1983F1参戦 - 第2期 - / 1983
  6. インディカー・レース参戦 / 1994インディカー・レース参戦 / 1994
  7. ツインリンクもてぎ誕生 / 1997ツインリンクもてぎ誕生 / 1997
アイデアを出して大いに遊ぶ
  1. アイデアを出して大いに遊ぶアイデアを出して大いに遊ぶ
  2. 創立15周年を京都で祝う / 1963創立15周年を京都で祝う / 1963
  3. オールホンダ・アイデアコンテスト開催 / 1970オールホンダ・アイデアコンテスト開催 / 1970
自然と人々と社会との共生
  1. 自然と人々と社会との共生自然と人々と社会との共生
  2. 安全運転普及本部発足 / 1970安全運転普及本部発足 / 1970
  3. Honda・フランツ・システム車の開発 / 1982Honda・フランツ・システム車の開発 / 1982
  4. ホンダ太陽・希望の里ホンダ・ホンダR&D太陽設立 / 1992ホンダ太陽・希望の里ホンダ・ホンダR&D太陽設立 / 1992
  5. ふるさとの森づくりスタート / 1977ふるさとの森づくりスタート / 1977
  6. 『お礼の会』開催 / 1991『お礼の会』開催 / 1991